宋名臣言行録 / 後集巻十四・陳無巳
名師道一字履常以侍從合薦為徐州教授官至祕書省正字無已苦節厲志自其少時蚤以文謁南豐曽舍人曽一見竒之許其必以文著時人未之知也在頴賦六一堂詩有向来一瓣香敬為曽南豐之句
新字:名師道一字履常以侍従合薦為徐州教授官至秘書省正字無已苦節厲志自其少時蚤以文謁南豊曽舎人曽一見奇之許其必以文著時人未之知也在頴賦六一堂詩有向来一瓣香敬為曽南豊之句
書き下し
名は師道、一に字は履常。侍從の合薦を以て徐州教授と爲る。官は祕書省正字に至る。無已苦節厲志、其の少き時より、蚤に文を以て南豐曾舍人に謁す。曾一見して之を奇とし、其の必ず文を以て著われんことを許す。時人未だ之を知らざるなり。潁に在りて六一堂の詩を賦す。「向来一瓣の香、敬みて曾南豐の爲にす」の句有り。
現代語訳
名は師道、もう一つの字は履常という。侍従たちの連名の推薦によって徐州の教授となった。官は秘書省正字に至った。陳師道は節を苦しく守り志を励まし、若いころから、早くに自分の文章を持って南豊の曾鞏にお目にかかった。曾鞏はひと目見てこれを非凡とし、必ず文章によって世に知られるだろうと認めた。当時の人はまだそれを知らなかった。潁州にあって「六一堂」の詩を作った。そのなかに「これまで焚いてきた一片の香は、つつしんで曾南豊のために」という句がある。
解説
経歴と、若い日の出会いが並べて置かれています。まだ誰にも知られていないころに、一人だけ見抜いた人がいました。**曾鞏はひと目見てこれを非凡とし、必ず文章によって世に知られるだろうと認めた。当時の人はまだそれを知らなかった。**その恩を、後に詩の一句で返しています。**これまで焚いてきた一片の香は、つつしんで曾南豊のために。**六一堂は欧陽脩を記念する堂です。その場所で、自分の師として曾鞏の名を挙げました。
この章句が説くこと
名は師道一に字は履常侍従の合薦を以て徐州教授と為る無已苦節厲志其の少き時より蚤に文を以て南豊曽舎人に謁す曽一見して之を奇とし其の必ず文を以て著われんことを許す時人未だ之を知らざるなり向来一瓣の香敬みて曽南豊の為にす師恩
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