宋名臣言行録 / 前集巻五・王曽
公嘗言始參大政屬故王太尉當國每進用朝士必先望實或曰某人才某人賢則曰誠知此人然厯官尚淺且俾養望嵗乆不渝而後擢任則榮途坦然中外允惬故公執政之日遵行是言而人皆心服
新字:公嘗言始参大政属故王太尉当国毎進用朝士必先望実或曰某人才某人賢則曰誠知此人然厯官尚浅且俾養望歳乆不渝而後擢任則栄途坦然中外允惬故公執政之日遵行是言而人皆心服
書き下し
公嘗て言う、始めて大政に參ずるとき、故王太尉の國に當たるに屬す。毎に朝士を進用するに、必ず望實を先にす。或ひと曰く、某人は才あり、某人は賢なりと。則ち曰く、誠に此の人を知る。然れども歴官尚お淺し。且く望を養わしめ、歳乆しくして渝らずして後に擢任せば、則ち榮途坦然として、中外允に惬わんと。故に公、執政の日、是の言を遵行す。而して人皆な心服す。
現代語訳
公はかつて言った。はじめて政に参与したころ、ちょうど王旦が国政に当たっていた。朝廷の士を登用するとき、必ず名望と実績を先にした。ある人が「某は才がある、某は賢い」と言うと、王旦は言った。「たしかにその人を知っている。しかし官歴がまだ浅い。しばらく名望を養わせ、年を重ねても変わらないと分かってから抜擢すれば、栄達の道は平らかで、内外ともに納得するだろう」。だから公は政を執っている日々、この言葉のとおりにした。そして人はみな心から服した。
解説
王旦から受け継いだ、登用の順序の条です。才がある賢いと推されても、**官歴が浅ければ、しばらく名望を養わせ、年を重ねても変わらないと分かってから抜擢する。**早く上げれば、周りが納得しません。栄達の道は平らかで、内外ともに納得する、と。時間をかけること自体が、その人を守る仕組みになっています。前の条までの「恩を自分から出さない」と、同じところから出ている考え方です。
この章句が説くこと
誠に此の人を知る然れども歴官尚お浅し且く望を養わしめ歳乆しくして渝らずして後に擢任せば則ち栄途坦然として中外允に惬わん登用時間名望
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