宋名臣言行録 / 後集巻七・司馬光
上因論臺諌天子耳目光曰臺諌天子耳目陛下當自擇人今言執政短長者皆斥逐之盡易以執政之黨臣恐聰明將有所蔽䝉也上曰諌官難得卿更為擇其人光退而舉陳薦蘇軾王元規趙彦若
新字:上因論台諌天子耳目光曰台諌天子耳目陛下当自択人今言執政短長者皆斥逐之尽易以執政之党臣恐聰明将有所蔽䝉也上曰諌官難得卿更為択其人光退而舉陳薦蘇軾王元規趙彦若
書き下し
上因りて臺諫は天子の耳目たるを論ず。光曰く、臺諫は天子の耳目なり。陛下は當に自ら人を擇ぶべし。今執政の短長を言う者は皆之を斥逐し、盡く易うるに執政の黨を以てす。臣恐る、聰明の將に蔽蒙する所有らんとするをと。上曰く、諫官は得難し。卿更に爲に其の人を擇べと。光退きて陳薦・蘇軾・王元規・趙彦若を舉ぐ。
現代語訳
天子はそのついでに、御史台と諫院は天子の耳目であることを論じた。司馬光は言った。「御史台と諫院は天子の耳目です。陛下ご自身が人をお選びになるべきです。いま執政の善し悪しを口にする者はみな追い出され、ことごとく執政の一派に入れ替えられております。臣は恐れます、陛下の聡明さが覆い塞がれようとしていることを」。天子は言った。「諫官は得がたい。卿がさらにその人を選んでくれ」。司馬光は退がって、陳薦・蘇軾・王元規・趙彦若を挙げた。
解説
耳目が塞がる仕組みを、二つの動きで説明しています。執政の善し悪しを口にする者はみな追い出され、ことごとく執政の一派に入れ替えられております。出す動きと入れる動きが揃っている。だから空席にはならず、外からは正常に見えます。そして誰が選ぶかを問題にしました。陛下ご自身が人をお選びになるべきです。批判される側が批判する人を選んでいれば、名前だけが残ります。天子は選任を任せ、司馬光は四人を挙げました。
この章句が説くこと
台諫は天子の耳目なり陛下は当に自ら人を択ぶべし今執政の短長を言う者は皆之を斥逐す尽く易うるに執政の党を以てす臣恐る聰明の将に蔽蒙する所有らんとするを諫官人選
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