宋名臣言行録 / 前集巻五・魯宗道
章獻太后臨朝公屢有獻替太后問唐武后何如主對曰唐之罪人也幾危社稷太后黙然時有上言請立劉氏七廟者太后以問輔臣衆不敢對公獨曰不可退謂同列曰若立劉氏七廟如嗣君何帝太后將同幸慈孝寺欲以大安輦前帝行公曰婦人有三從在家從父既嫁從夫夫歿從子太后乃命輦後乘輿行執政多任子于館閤讀書公曰館閤育天下英才豈紈袴子弟得以恩澤處耶吾子誠幼已任京官然終不使慁國恩樞宻使曹利用恃權驕横公屢折之帝前時貴戚用事者莫不憚之目為魚頭參政因其姓且言骨鯁如魚頭也
新字:章献太后臨朝公屢有献替太后問唐武后何如主対曰唐之罪人也幾危社稷太后黙然時有上言請立劉氏七廟者太后以問輔臣衆不敢対公独曰不可退謂同列曰若立劉氏七廟如嗣君何帝太后将同幸慈孝寺欲以大安輦前帝行公曰婦人有三従在家従父既嫁従夫夫歿従子太后乃命輦後乗輿行執政多任子于館閤読書公曰館閤育天下英才豈紈袴子弟得以恩沢処耶吾子誠幼已任京官然終不使慁国恩枢宻使曹利用恃権驕横公屢折之帝前時貴戚用事者莫不憚之目為魚頭参政因其姓且言骨鯁如魚頭也
書き下し
章獻太后臨朝す。公、屢々獻替有り。太后、唐の武后は何如なる主かと問う。對えて曰く、唐の罪人なり。幾んど社稷を危うくすと。太后黙然たり。時に上言して劉氏の七廟を立てんことを請う者有り。太后、以て輔臣に問う。衆敢えて對えず。公獨り曰く、不可なりと。退きて同列に謂いて曰く、若し劉氏の七廟を立てば、嗣君を如何せんと。帝と太后と將に同に慈孝寺に幸せんとす。大安輦を以て帝の前を行かしめんと欲す。公曰く、婦人に三從有り。家に在りては父に從い、既に嫁しては夫に從い、夫歿すれば子に從うと。太后乃ち輦を乘輿の後にせしむ。執政、多く子を館閤に任じて書を讀ましむ。公曰く、館閤は天下の英才を育つ。豈に紈袴の子弟、恩澤を以て處るを得んやと。吾が子は誠に幼くして已に京官に任ず。然れども終に國恩を慁さしめず。樞宻使曹利用、權を恃みて驕横なり。公、屢々之を帝前に折る。時に貴戚の事を用うる者、憚らざる莫し。目して魚頭參政と為す。其の姓に因り、且つ骨鯁なること魚の頭の如きを言うなり。
現代語訳
章献太后が朝に臨んだ。公はたびたび意見を申し上げた。太后が「唐の武后はどのような君主であったか」と尋ねた。答えた。「唐の罪人です。あやうく社稷を危うくしました」。太后は黙った。当時、上言して劉氏の七廟を立てるよう求める者があった。太后はそれを輔佐の臣に尋ねた。皆はあえて答えなかった。公だけが「不可です」と言った。退出して同僚に言った。「もし劉氏の七廟を立てたら、跡継ぎの君主をどうするのか」。帝と太后がそろって慈孝寺へ行幸しようとした。太后の輦を帝の前に行かせようとした。公は言った。「婦人には三従がございます。家にあっては父に従い、嫁しては夫に従い、夫が亡くなれば子に従う」。太后はそこで輦を御車の後ろにさせた。執政たちの多くは、自分の子を館閣に任じて書を読ませていた。公は言った。「館閣は天下の英才を育てる所です。どうして裕福な家の子弟が、恩沢によって居るべきでしょうか」。自分の子はまだ幼いのにすでに京官に任じられていた。しかしついに国の恩を汚させなかった。枢密使の曹利用は権を頼みに驕り高ぶっていた。公はたびたび帝の前でそれを退けた。当時、外戚で権を使う者はみな憚った。あだ名して「魚頭参政」と呼んだ。その姓にちなみ、そのうえ骨のあることが魚の頭のようだ、というのである。
解説
この章句が説くこと
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『宋名臣言行録』前集巻五・王曽章聖豫まず。劉后、宰臣丁謂に諷して朝に臨まんと欲す。中外汹汹として敢えて言う者無し。公、后の戚錢惟演に謂いて曰く、漢の吕后、唐の武氏、皆な大位に據るに非ず。其の後、子孫誅戮せられ、首領を保つを得ず。公は后の肺腑なり。何ぞ入りて皇后に白さざる。萬一、宫車不諱ならば、太子即位し、太后輔政す。豈に劉氏の福と為らざらんや。若し制を稱して以て天下に疑いを取らんと欲せば、惟だ劉氏の禍と為るのみに非ず。恐らくは亦た延きて公に及ばんと。惟演大いに懼れ、入りて之を白す。其の議遂に止む。
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『宋名臣言行録』前集巻五・魯宗道公、正言と為る。事に違誤有れば風聞して彈疏す。真宗、稍や之を厭う。公、一日、自ら上前に訟えて曰く、臣、諌列に在りて諌むるは、職を守るなり。陛下、數を以て之を厭わば、豈に納諌の虛名を事とし、臣をして尸素して禄を茍くせしむるに非ずや。臣、竊かに之を媿ず。願わくは罷め去るを得んと。上、其の忠を悦び、慰勉して以て遣る。他日、其の言を追念し、御筆もて殿壁に題して曰く、魯直と。
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『宋名臣言行録』前集巻六・程琳章獻箔を垂る。方仲弓なる者有り。書を上りて武氏の故事に依りて劉氏の廟を立てんことを乞う。章獻、其の疏を覽て曰く、吾れ此の祖宗に負く事を作さずと。裂きて之を地に擲つ。仁宗、側に在りて曰く、此も亦た忠孝より出づ。宜しく以て之を旌す有るべしと。乃ち以て開封府司錄と為す。章獻の崩ずるに及び、黜けて汀州司馬と為す。琳も亦た嘗て此の請有り。而して人皆な之を莫知らざるなり。上、一日、邇英に在りて講官に謂いて曰く、程琳の心行は中らず。章獻の朝に在り、嘗て劉氏の廟を立てんことを請い、且つ七廟の圖を獻ずと。時に王洙、侍讀たり。之を聞く。然れども上の性は寛厚なり。琳、竟に宰相に至る。葢し宿怒無ければなり。
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『宋名臣言行録』前集巻六・吕夷簡李宸妃薨ず。章獻、宫人の禮を以て喪を外に治めんと欲す。公奏す、宜しく厚きに從うべしと。章獻遽かに帝を引きて起つ。頃くして獨り簾下に坐す。公を召して問いて曰く、一宫人死す。相公、云云するは何ぞやと。公曰く、臣、罪を宰相に待つ。事に内外無く、當に預らざる無しと。章獻怒りて曰く、相公、吾が母子を離間せんと欲するかと。公、從容として對えて曰く、陛下、劉氏を以て念と為さずんば、臣、敢えて言わず。尚お劉氏を念わば、喪禮は宜しく厚きに從うべしと。章獻悟りて遽かに曰く、宫人は李宸妃なり。且つ奈何せんと。公乃ち喪を皇儀殿に治め、一品の禮を用いて洪福寺に殯せんことを請う。公又た入内都知羅崇勲に謂いて曰く、宸妃は當に后服を以て殮すべし。水銀を用いて棺に實てよ。異時、夷簡曽て説き来たらずと道う莫かれと。章獻皆な之に從う。後、章獻上仙す。燕王、仁宗に謂いて、陛下は乃ち李宸妃の生む所なり、妃は死するに非命を以てすと言う。仁宗號慟し、頓に毁れて朝を視ざる者累日。哀痛の詔を下して自ら責め、宸妃を尊びて皇太后と為し、章懿と謚す。甫めて畢わる。章獻の殿□、洪福寺に幸して祭告し、梓宫を易う。帝、親ら哭して之を視る。后の玉色、生けるが如く、冠服は皇太后なる者の如し。水銀有るを以ての故に壊れざるなり。帝歎息して曰く、人言、其れ信ず可けんやと。劉氏を待つこと加々厚し。
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『宋名臣言行録』前集巻五・魯宗道仁宗、東宫に在り。公、諭徳と為る。其の居に酒肆の側に在る有り。仁和酒と號し、京師に名有り。公、往往にして服を易えて㣲行し、其の中に飲む。一日、真宗急に公を召す。將に問う所有らんとす。使者、門に及ぶも公在らず。時を移して乃ち仁和肆の中より飲みて歸る。中使遽かに先ず入りて白す。乃ち公と約して曰く、上、若し公の来たるの遲きを怪しまば、當に何事に託して以て對うべき。幸わくは先ず教を見よ。異同ならざるを兾うと。公曰く、但だ實を以て告げよと。曰く、然らば則ち當に罪を得べしと。公曰く、酒を飲むは人の常情なり。君を欺くは臣子の大罪なりと。中使嗟歎して去る。真宗果たして問う。使者、具さに公の對うるが如くす。真宗、何の故に私かに酒家に入るかを問う。公謝して曰く、臣が家貧しく器皿無し。酒肆は百物具備し、賔至れば歸るが如し。適ま鄉里の親客の逺きより来たる有り。遂に之と飲む。然れども臣既に服を易う。市人も亦た臣を識る者無しと。真宗笑いて曰く、卿は宫臣為り。恐らくは御史の彈ずる所と為らんと。然れども此れより公を竒として以て忠實にして大いに用う可しと為す。晚年、毎に章獻の為に、羣臣の大いに用う可き者數人を言う。公は其の一なり。後、章獻皆な之を用う。
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『宋名臣言行録』前集巻五・薛奎明肅太后、衮冕を以て太廟に謁せんと欲す。諌疏交々上る。宰臣、議を執る。俱に之を聴かず。公は關右の人なり。語氣明直にして文らず。其の談、獨り簾外に於て口ずから奏して曰く、陛下、大謁の日、還た漢兒の拜を作すか、女兒の拜を作すかと。明肅答うる無し。是の夕、報じて罷む。