宋名臣言行録 / 後集巻十一・范純仁
公教子弟曰六經聖人之事也知一字則行一字要須造次顛沛必於是則所謂有為者亦若是豈不在人耶
新字:公教子弟曰六経聖人之事也知一字則行一字要須造次顛沛必於是則所謂有為者亦若是豈不在人耶
書き下し
公子弟に教えて曰く、六經は聖人の事なり。一字を知れば則ち一字を行う。要は須らく造次顛沛にも必ず是に於いてすべし。則ち所謂爲す有る者も亦た若く是しとは、豈に人に在らざらんやと。
現代語訳
公は子弟に教えて言った。「六経は聖人の事跡である。一字を知ったら、その一字を行う。肝要なのは、あわただしいときも倒れそうなときも、必ずここにおいて行うことだ。そうすれば、いわゆる『事をなす者もまたこのようである』というのは、人にかかっていないことがあろうか」。
解説
四十二字です。読み方の単位を、一字にまで下げています。一字を知ったら、その一字を行う。全部を理解してから行う、では永遠に始まりません。分かった分だけ行う。しかも試される場所を指定しました。あわただしいときも倒れそうなときも、必ずここにおいて行う。落ち着いているときは誰でもできます。崩れる場面で保てるかどうか。そこまで含めて、一字ずつだ、と。
この章句が説くこと
六経は聖人の事なり一字を知れば則ち一字を行う要は須らく造次顛沛にも必ず是に於いてすべし所謂為す有る者も亦た若く是しとは豈に人に在らざらんや経書実行
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