宋名臣言行録 / 前集巻十・李之才
李之才字挺之青州人倜儻不羣師事伯長伯長性嚴急稍不如意或至呵叱挺之承順如事父兄登科任孟州司戸挺之性坦率不事儀矩時太守范忠獻公以此頗不悦後忠獻建節移鎮延安郡僚多送至境外挺之但别於近郊衆或讓之挺之曰情文貴稱公實不我知而出疆逺送非情豈敢以不情事范公未幾忠獻謫守安陸過洛三城故吏無一人徃者獨挺之沿檄徃省之忠獻始稱嘆遂受知焉又嘗為衛州共城令時康節居祖母服築室蘇門山百源之上挺之自造其廬問曰子何所學曰為科舉進取之學耳挺之曰科舉之外有義理之學子知之乎曰未也願受教挺之曰義理之外有物理之學子知之乎曰未也願受教挺之曰物理之外有性命之學子知之乎曰未也願受教於是康節始傳其學
新字:李之才字挺之青州人倜儻不羣師事伯長伯長性厳急稍不如意或至呵叱挺之承順如事父兄登科任孟州司戸挺之性坦率不事儀矩時太守范忠献公以此頗不悦後忠献建節移鎮延安郡僚多送至境外挺之但別於近郊衆或譲之挺之曰情文貴称公実不我知而出疆遠送非情豈敢以不情事范公未幾忠献謫守安陸過洛三城故吏無一人往者独挺之沿檄往省之忠献始称嘆遂受知焉又嘗為衛州共城令時康節居祖母服築室蘇門山百源之上挺之自造其廬問曰子何所学曰為科舉進取之学耳挺之曰科舉之外有義理之学子知之乎曰未也願受教挺之曰義理之外有物理之学子知之乎曰未也願受教挺之曰物理之外有性命之学子知之乎曰未也願受教於是康節始伝其学
書き下し
李之才、字は挺之。青州の人。倜儻不羣なり。伯長に師事す。伯長の性は嚴急。稍や意の如くならざれば、或いは呵叱するに至る。挺之、承順すること父兄に事うるが如し。科に登り、孟州司戸に任ず。挺之の性は坦率にして儀矩を事とせず。時に太守范忠獻公、此を以て頗る悦ばず。後、忠獻、節を建てて延安に移鎮す。郡僚多く送りて境外に至る。挺之は但だ近郊に别る。衆、或いは之を讓む。挺之曰く、情文は稱うを貴ぶ。公、實に我を知らずして疆を出でて逺送するは情に非ず。豈に敢えて不情を以て范公に事えんやと。未だ幾ならずして、忠獻、謫せられて安陸を守る。洛を過ぐ。三城の故吏、一人の徃く者無し。獨り挺之のみ檄に沿いて徃きて之を省す。忠獻、始めて稱嘆す。遂に知を受く。又た嘗て衛州共城の令と爲る。時に康節、祖母の服に居る。室を蘇門山百源の上に築く。挺之、自ら其の廬に造りて問いて曰く、子、何の學ぶ所ぞと。曰く、科舉進取の學を爲すのみと。挺之曰く、科舉の外に義理の學有り。子、之を知るかと。曰く、未だしなり。願わくは教を受けんと。挺之曰く、義理の外に物理の學有り。子、之を知るかと。曰く、未だしなり。願わくは教を受けんと。挺之曰く、物理の外に性命の學有り。子、之を知るかと。曰く、未だしなり。願わくは教を受けんと。是に於て康節、始めて其の學を傳う。
現代語訳
李之才、字は挺之。青州の人。抜きん出ていて群れなかった。穆修に師事した。穆修の性質は厳しく気短で、少しでも思うようにならないと、叱りつけることさえあった。李之才は従い順うこと、父兄に仕えるようであった。科挙に及第して孟州司戸に任じた。李之才の性質はあけっぴろげで、格式を事としなかった。当時、太守の范雍はそれをたいそう快く思わなかった。後に范雍が節を立てて延安に鎮を移した。郡の同僚の多くは送って境の外まで行った。李之才だけは近くの郊外で別れた。人々の中にはそれを責める者があった。李之才は言った。「情と形式は釣り合うのを尊ぶ。公はまことに私を知っておられないのに、境を出て遠くまで送るのは情ではない。どうして情でないことで范公にお仕えできようか」。ほどなく范雍が流されて安陸を守ることになった。洛陽を通った。三つの城の旧僚で、一人も行く者がなかった。ただ李之才だけが、公文書のついでに行って見舞った。范雍ははじめて感嘆した。そこで知遇を受けた。またかつて衛州共城の県令となった。当時、邵雍は祖母の喪に服していた。蘇門山の百源のほとりに家を建てていた。李之才は自分でその庵を訪ねて尋ねた。「君は何を学んでいるのか」。「科挙で世に出るための学問をしているだけです」。李之才は言った。「科挙の外に義理の学がある。君はそれを知っているか」。「まだです。どうか教えを受けたい」。李之才は言った。「義理の外に物理の学がある。君はそれを知っているか」。「まだです。どうか教えを受けたい」。李之才は言った。「物理の外に性命の学がある。君はそれを知っているか」。「まだです。どうか教えを受けたい」。そこで邵雍ははじめてその学を伝えられた。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『五常訓』巻之四・礼本立てば末は是より出づる理なり。末のみ修りて、本なきは、誠なくして、礼の道たたず。喪の礼は、ことさら真実ならでは行はれざるものなれば、既に礼の本を説きて、又其内より、喪の礼の本をかかげ出して説き給ふ。
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『五常訓』巻之四・礼一朱子曰、礼は即理の節文なり。いふ意は、万の行、道理にかなひて、過不及なく、程よきを云ふ。飲食の一事をいはば、うゑかわく時に飲み食ふは理なり。されども、飲み食ふべき理なりとて、みだりに多く飲み食へば、放逸にして、みだりがはしく、又必病を生ず。飲み食ふべき理にあたりて、過不及なく、よき程なるが、理の節文なり。万の事、是を以て知るべし。
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『五常訓』巻之四・礼一礼記に、子曰、敬ひて礼にあたらざる、これを野と云ふ。敬ふは誠によけれど、礼にかなはざれば、これ野きなり。敬によき程の法あり。過不及ありて、其法にかなはざるは、是礼にあたらざるなり。況やおごりて理にかなはざるは、ことに礼にそむけり。野きより、其害甚し。
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『弁名』禮礼は道の名なり。先王の制作する所の四教・六芸、是れ其の一に居る。所謂経礼三百、威儀三千、是れ其の物なり。六芸は、書・数は庶人の官に在る者、府・史・胥・徒の専ら務むる所と為す。御も亦た士の職とする所なり。射は諸侯に通ずと雖も、其の所謂射は、礼楽を以て之を行ふ、民の射の皮を主とする者の比に非ず。唯だ礼楽のみ乃ち芸の大なる者にして、君子の務むる所なり。而して楽は伶官に掌られ、君子以て徳を養ふのみ。礼に至りては則ち君子此を以て顕業と為す。是を以て孔子少くして礼を知るを以て称せられ、周に之きて礼を老聃に問ひ、杞に之き宋に之き、唯だ礼を之れ求む。子夏の記す所、曾子の問ふ所、七十子皆礼に断断たり。檀弓の諸篇に見ゆ。三代の君子の礼を務むる、以て見るべきのみ。
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『五常訓』巻之四・礼一威儀をつつしみ、衣冠を正しくし、視ること、聴くこと、言ふこと、動くことの四事につきて、各過不及なく、よき程の法あり。又親につかへ、君につかふるに、各さだまれる法あり。兄弟、夫婦に対し、賓客にまじはり、臣下に対し、民をつかひ、先祖鬼神をまつるも法あり。是礼は、皆天理のよき程なる節文にして、人事の定まれる作法なり。仁義皆理なりといへども、とりわき礼を理といへるに子細あり。理とは行ふべきすぢめなり。万事を行ふに、皆定まりたる作法あり。是人の行ふべきすぢめなり。是即礼なり。ここを以て聖人の説き給へる礼の字は、理の字にあたれり。然れども理といはずして礼といへるに、子細あり。理といへば形と事にあらはれたる迹なくして、虚なり。
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『弁名』禮是の礼楽の教は、黙して之を識るに在りと雖も、然れども人の知、至る有り、至らざる有り。故に孔子時有りてか、一隅を挙げて以て其の義を語る。義とは先王の礼を制する所以の義、戴記に載する所皆是れのみ。祇だ人の知、至る有り、至らざる有り。故に七十子の先王を信ずる、孔子の先王を信ずるに及ばず。其の人の七十子を信ずるも、亦た七十子の孔子を信ずるに及ばず。故に其の人に喩さんと欲するの急なる、其の義を論説して已まず。日に以て蔓衍し、以て戦国の時に至りて、義遂に礼を離れて孤行し、復た礼に就きて其の義を言はず。孟子の書を観て見るべきのみ。此れより其の後、古を去ること益〻遠く、義理の説益〻盛んに、囂然として以て天下を乱し、先王・孔子の教、蕩乎として尽く。悲しいかな。

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