宋名臣言行録 / 後集巻七・司馬光
甲寅予初赴經筵上自製自書資治通鑑序以授光光受讀降再拜讀三家為諸侯論上顧禹玊等稱美久之
新字:甲寅予初赴経筵上自製自書資治通鑑序以授光光受読降再拝読三家為諸侯論上顧禹玊等称美久之
書き下し
甲寅、予初めて經筵に赴く。上自ら資治通鑑の序を製し自ら書して、以て光に授く。光受けて讀み、降りて再拜す。三家を諸侯と爲すの論を讀む。上禹玉等を顧みて美を稱すること久し。
現代語訳
甲寅の日、私ははじめて経筵に赴いた。天子は自ら『資治通鑑』の序を作り、自ら筆を執って書いて、司馬光に授けた。司馬光は受けて読み、降りて二度拝礼した。三家を諸侯としたことについての論を読み上げた。天子は王珪らを顧みて、その見事さを称えることが長く続いた。
解説
四十二字の、静かな一条です。長い編纂の途中で、天子が自分で序文を書いて渡しました。**天子は自ら『資治通鑑』の序を作り、自ら筆を執って書いて、司馬光に授けた。**そして読み上げたのが、書の冒頭に置かれた論でした。三家が晋を分けて諸侯となったことを、周の天子が認めた。その一件から名分の崩れが始まった、という有名な議論です。政の場で対立し続けた人が、この場では褒め続けています。**その見事さを称えることが長く続いた。**
この章句が説くこと
予初めて経筵に赴く上自ら資治通鑑の序を製し自ら書して以て光に授く光受けて読み降りて再拝す三家を諸侯と為すの論を読む上禹玉等を顧みて美を称すること久し通鑑序
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