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宋名臣言行録 / 後集巻一・韓琦

元昊初叛兵鋒銳甚中國久不知戰人心頗恐授公陜西安撫使趣上道公勇欲自効馳至延安則羗已解圍去然士氣沮傷將吏往往移病求罷職公即選練材武治戰守器慰安居人收召豪傑與之計議范雍守延州朝廷以為不能欲以趙振代公奏曰願留雍以觀後效無已則范仲淹為可以為國家計非私仲淹也若涉朋比誤陛下事當族慶人陳叔慶等陳邉防策補官東南公奏曰忠義憤懣為國獻計雖稍收用乃置於僻左實覊縻之非所以開示誠意招徠人才也

新字:元昊初叛兵鋒銳甚中国久不知戦人心頗恐授公陜西安撫使趣上道公勇欲自効馳至延安則羗已解囲去然士気沮傷将吏往往移病求罷職公即選練材武治戦守器慰安居人収召豪傑与之計議范雍守延州朝廷以為不能欲以趙振代公奏曰願留雍以観後効無已則范仲淹為可以為国家計非私仲淹也若渉朋比誤陛下事当族慶人陳叔慶等陳邉防策補官東南公奏曰忠義憤懣為国献計雖稍収用乃置於僻左実覊縻之非所以開示誠意招徠人才也

書き下し

元昊初めて叛き、兵鋒銳きこと甚だし。中國久しく戰を知らず、人心頗る恐る。公に陜西安撫使を授く。趣かに道に上る。公勇にして自ら效さんと欲し、馳せて延安に至れば、則ち羗已に圍を解きて去る。然れども士氣沮傷し、將吏往往にして病と移して罷職を求む。公即ち材武を選練し、戰守の器を治め、居人を慰安し、豪傑を收召して之と計議す。范雍、延州を守る。朝廷以爲えらく能わずとし、趙振を以て代えんと欲す。公奏して曰く、願わくは雍を留めて以て後效を觀ん。已む無くんば則ち范仲淹を可と爲す。以て國家の爲に計るなり、仲淹に私するに非ず。若し朋比に涉りて陛下の事を誤らば、當に族せらるべしと。慶人の陳叔慶等、邉防の策を陳べて官に補せられ、東南に置かる。公奏して曰く、忠義憤懣して國の爲に計を獻ず。稍く收用すと雖も、乃ち僻左に置くは、實に之を覊縻するなり。誠意を開示して人才を招徠する所以に非ずと。

現代語訳

李元昊が初めて叛き、その兵鋒はきわめて鋭かった。中国は久しく戦を知らず、人心はひどく恐れた。韓琦に陝西安撫使を授けた。急ぎ道に上った。韓琦は勇んで自ら力を尽くそうとし、馳せて延安に着くと、すでに敵は囲みを解いて去っていた。しかし士気は沮み傷つき、将や吏はしばしば病と称して職を辞めたいと願い出ていた。韓琦はすぐに、才があり武に長けた者を選んで訓練し、戦いと守りの器具を整え、住民を慰め安んじ、豪傑を集めて相談した。范雍が延州を守っていた。朝廷はこれを無能とし、趙振に代えようとした。韓琦は奏上した。「どうか范雍を留めて、その後の働きを見てください。やむを得なければ、范仲淹がよろしい。これは国家のために考えてのことで、范仲淹に私するのではありません。もし党派を組んで陛下の事を誤ることがあれば、一族もろとも罰せられて当然です」。慶州の人の陳叔慶らが辺境防備の策を述べて官に補されたが、東南の地に置かれた。韓琦は奏上した。「忠義の心が憤り満ちて、国のために策を献じたのです。少しは採用したとはいえ、辺鄙な土地に置くのは、実際にはこれを飼い殺しにすることです。誠意を開いて示し、人材を招き寄せるやり方ではありません」。

解説

西夏との戦端が開いた場面です。着いたときには敵はもう去っていて、残っていたのは**沮み傷ついた士気と、病と称して辞めたがる将吏**でした。まず人を選び、器具を整え、住民を安んじるところから立て直しています。人事についての二つの奏上が、この人の型を示します。一つは、無能とされた范雍を弁護し、それでも駄目なら范仲淹をと代案を出したうえで、**もし党派を組んで陛下の事を誤ることがあれば、一族もろとも罰せられて当然です**と自分を担保に差し出したこと。もう一つが**辺鄙な土地に置くのは、実際にはこれを飼い殺しにすることです。**

この章句が説くこと

士気沮傷し将吏往往にして病と移して罷職を求む以て国家の為に計るなり仲淹に私するに非ず僻左に置くは実に之を覊縻するなり人事辺境人材

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