宋名臣言行録 / 前集巻四・畢士安
公雖貴奉養無異平素未嘗殖産為子孫計故天下稱其清王文正為相嘗面奏曰士安仕至輔相而四海無田園居第沒未終喪家用已絀今其妻貸于臣家其不負陛下可見矣
新字:公雖貴奉養無異平素未嘗殖産為子孫計故天下称其清王文正為相嘗面奏曰士安仕至輔相而四海無田園居第没未終喪家用已絀今其妻貸于臣家其不負陛下可見矣
書き下し
公、貴しと雖も奉養平素に異なる無し。未だ嘗て産を殖やして子孫の為に計らず。故に天下其の清を稱す。王文正、相と為り、嘗て面のあたり奏して曰く、士安は仕えて輔相に至る。而るに四海に田園・居第無し。沒して未だ喪を終えざるに、家用已に絀す。今、其の妻、臣が家に貸る。其の陛下に負かざること見る可しと。
現代語訳
公は貴い身になっても、暮らしぶりは平素と変わらなかった。財産を殖やして子孫のために計ることをしなかった。だから天下はその清廉さを称えた。王旦が宰相であったとき、面と向かって奏上した。「畢士安は仕えて宰相にまで至りました。それなのに天下のどこにも田園も屋敷もありません。亡くなって喪も終わらないうちに、家の費えはもう尽きております。いまその妻は、臣の家から借りております。陛下に背かなかったことが、これで分かります」。
解説
清廉であったことを、遺族の暮らしで証明した条です。**亡くなって喪も終わらないうちに家の費えが尽き、その妻は王旦の家から借りている。**王旦はそれを帝の前で言いました。宰相まで務めて田も屋敷も無い、だから陛下に背かなかったのだと分かる、と。生前の言葉ではなく、死後の家計を証拠にしています。褒め方として、これ以上動かしがたいものはありません。
この章句が説くこと
士安は仕えて輔相に至るも四海に田園居第無し没して未だ喪を終えざるに家用已に絀す其の陛下に負かざること見る可し清廉証拠遺族
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