宋名臣言行録 / 後集巻二・富弼
時晏殊為相范仲淹叅政杜衍樞密韓琦與公副之歐余王蔡為諫官皆天下之望石介作詩以美之公既以社稷自任而仁宗責成於公與仲淹數以手詔督公等條具其事又開天章閣召公等坐且給筆札書其所欲為者遣中使更往督之且命仲淹主西事公主北事
新字:時晏殊為相范仲淹叅政杜衍枢密韓琦与公副之欧余王蔡為諫官皆天下之望石介作詩以美之公既以社稷自任而仁宗責成於公与仲淹数以手詔督公等条具其事又開天章閣召公等坐且給筆札書其所欲為者遣中使更往督之且命仲淹主西事公主北事
書き下し
時に晏殊相と爲り、范仲淹參政、杜衍樞密、韓琦と公と之に副たり。歐・余・王・蔡諫官と爲る。皆天下の望なり。石介詩を作りて以て之を美む。公既に社稷を以て自ら任ず。而して仁宗、公と仲淹とに責成し、數ミ手詔を以て公等に其の事を條具せんことを督す。又た天章閣を開き、公等を召して坐せしめ、且つ筆札を給して其の爲さんと欲する所の者を書かしむ。中使を遣わして更に往きて之を督せしむ。且つ仲淹に西事を主どらしめ、公に北事を主どらしむ。
現代語訳
当時、晏殊が宰相、范仲淹が参政、杜衍が枢密使、韓琦と富弼がその副であった。欧陽脩・余靖・王素・蔡襄が諫官であった。みな天下の望みを集める人々であった。石介は詩を作ってこれを讃えた。富弼はすでに国家を自らの任としていた。そして仁宗は富弼と范仲淹に成果を求め、たびたび直筆の詔をもって、その施策を箇条にして出すよう督促した。さらに天章閣を開いて彼らを召して座らせ、そのうえ筆と紙を与えて、やろうと思うことを書かせた。中使を遣わして重ねて督促させた。そのうえで范仲淹に西の事を、富弼に北の事を主管させた。
解説
慶暦の新政が始まる場面です。顔ぶれの豪華さもさることながら、天子の側の本気の出し方が具体的でした。**天章閣を開いて彼らを召して座らせ、筆と紙を与えて、やろうと思うことを書かせた。**呼んで意見を聞くのではなく、その場で書かせています。しかも一度では終わらない。**中使を遣わして重ねて督促させた。**そのうえで担当を分けました。**范仲淹に西の事を、富弼に北の事を。**ここまで整えば、あとは進むだけに見えます。次の条で、何が起きたかが分かります。
この章句が説くこと
皆天下の望なり石介詩を作りて以て之を美む仁宗公と仲淹とに責成し数ミ手詔を以て其の事を条具せんことを督す又た天章閣を開き且つ筆札を給して其の為さんと欲する所の者を書かしむ仲淹に西事を主どらしめ公に北事を主どらしむ改革人材
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