宋名臣言行録 / 後集巻七・司馬光
拜門下侍郎元豐之末天下多故二聖嗣位民日夜引領以觀新政而進說者以為三年無改於父之道欲稍損其重者毛舉數事以塞人言公慨然争之曰先帝之法其善者雖百世不變可也若安石惠卿等所建為天下害非先帝本意者改之當如捄焚拯溺猶恐不及况太皇太后以母改子非子改父衆議乃定
新字:拝門下侍郎元豊之末天下多故二聖嗣位民日夜引領以観新政而進説者以為三年無改於父之道欲稍損其重者毛舉数事以塞人言公慨然争之曰先帝之法其善者雖百世不変可也若安石恵卿等所建為天下害非先帝本意者改之当如捄焚拯溺猶恐不及況太皇太后以母改子非子改父衆議乃定
書き下し
門下侍郎に拜せらる。元豐の末、天下多故。二聖位を嗣ぎ、民日夜領を引きて以て新政を觀る。而して説を進むる者以爲えらく、三年父の道を改むる無しと。稍ミ其の重き者を損じ、毛のごとく數事を舉げて以て人言を塞がんと欲す。公慨然として之を爭いて曰く、先帝の法は其の善き者は百世變ぜずと雖も可なり。若し安石・惠卿等の建つる所にして天下の害と爲り、先帝の本意に非ざる者は、之を改むること當に焚を捄い溺を拯うが如くすべし。猶お及ばざるを恐る。况んや太皇太后は母を以て子を改む。子の父を改むるに非ずと。衆議乃ち定まる。
現代語訳
門下侍郎に任じられた。元豊の末、天下には事故が多かった。二人の聖主が位を継ぎ、民は日夜首を伸ばして新しい政を見守っていた。ところが意見を述べる者は、「三年、父のやり方を改めない」ということを持ち出した。少しばかり重いものを減らし、ごくわずかな数件を挙げて人の口を塞ごうとした。司馬光は憤然としてこれを争って言った。「先帝の法は、その善いものであれば百世変えなくてもよいのです。もし安石・恵卿らが立てたもので、天下の害となり、先帝の本意でないものは、これを改めるのは、火を消し溺れる者を救うようでなければなりません。それでもなお間に合わないことを恐れます。まして太皇太后は、母として子のしたことを改めるのです。子が父を改めるのではありません」。人々の議論はそこで定まった。
解説
改廃を止める側が持ち出したのが、経書の一句でした。**三年、父のやり方を改めない。**孝の名で縛れば、誰も反対できません。反論は二段でした。まず、全部を変えるとは言っていない。**先帝の法は、その善いものであれば百世変えなくてもよいのです。**そのうえで、急ぐ理由を示します。**火を消し溺れる者を救うようでなければなりません。**決め手は名分の一点でした。**太皇太后は、母として子のしたことを改めるのです。子が父を改めるのではありません。**
この章句が説くこと
説を進むる者以為えらく三年父の道を改むる無し先帝の法は其の善き者は百世変ぜずと雖も可なり之を改むること当に焚を捄い溺を拯うが如くすべし猶お及ばざるを恐る太皇太后は母を以て子を改む子の父を改むるに非ず改廃名分
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