宋名臣言行録 / 後集巻十四・劉恕
道原少穎悟俊拔讀書過目即成誦年四嵗坐客有言孔子無兄弟者道原應聲曰以其兄之子妻之一坐驚異
新字:道原少穎悟俊抜読書過目即成誦年四歳坐客有言孔子無兄弟者道原応声曰以其兄之子妻之一坐驚異
書き下し
道原少くして穎悟俊拔。書を讀み目を過ぐれば即ち誦を成す。年四歲、坐客に孔子に兄弟無しと言う者有り。道原聲に應じて曰く、其の兄の子を以て之に妻す、と。一坐驚異す。
現代語訳
劉恕は幼いころから聡明で並外れていた。書物を読んで目を通せば、すぐに暗誦できた。四歳のとき、同席の客に「孔子には兄弟がなかった」と言う者があった。劉恕はすかさず言った。「其の兄の子を以て之に妻す」。一座は驚いた。
解説
四十三字の逸話です。返した言葉は、自分の考えではありません。『論語』公冶長篇の一句をそのまま出しました。**其の兄の子を以て之に妻す。**孔子が兄の娘を人に嫁がせた、という記述です。兄がいなければ、兄の子はいない。それだけで、大人の断定が崩れます。四歳が理屈を組み立てたのではなく、読んだ一行を正しい場所で出しただけです。**書物を読んで目を通せば、すぐに暗誦できた。**この記憶力が、後に『資治通鑑』を支えます。
この章句が説くこと
道原少くして穎悟俊抜書を読み目を過ぐれば即ち誦を成す年四歳坐客に孔子に兄弟無しと言う者有り道原声に応じて曰く其の兄の子を以て之に妻す記憶反証
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