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宋名臣言行録 / 後集巻二・富弼

契丹自晉朝以來踐有幽薊北鄙之警略無寧嵗凡六十有九年至景德元年舉國來冦上用冦凖親征之䇿自是復通好不盗邉者三十九年及元昊叛兵久不决契丹之臣又貪而喜功者以我為怯且厭兵遂教其主設詞以動我欲得晉髙祖所與關南十縣慶厯三年聚重兵屯境上遣其臣蕭英劉六符來聘仁宗命宰相擇報聘者時敵情叵測羣臣皆莫敢行宰相以公名聞

新字:契丹自晉朝以来践有幽薊北鄙之警略無寧歳凡六十有九年至景徳元年舉国来寇上用寇凖親征之策自是復通好不盗邉者三十九年及元昊叛兵久不決契丹之臣又貪而喜功者以我為怯且厭兵遂教其主設詞以動我欲得晉高祖所与関南十県慶厯三年聚重兵屯境上遣其臣蕭英劉六符来聘仁宗命宰相択報聘者時敵情叵測羣臣皆莫敢行宰相以公名聞

書き下し

契丹は晉朝以來、幽薊を踐み有つ。北鄙の警、略ミ寧歳無きこと、凡そ六十有九年。景德元年に至り、國を舉げて來寇す。上、寇準親征の策を用う。是れより復た好を通じ、邊を盗まざること三十九年。元昊叛くに及び、兵久しく決せず。契丹の臣、又た貪りて功を喜ぶ者、我を以て怯にして且つ兵を厭うと爲し、遂に其の主に教えて詞を設けて以て我を動かし、晉の高祖の與うる所の關南十縣を得んと欲す。慶暦三年、重兵を聚めて境上に屯し、其の臣蕭英・劉六符を遣わして聘に來たらしむ。仁宗、宰相に命じて報聘する者を擇ばしむ。時に敵情叵測にして、羣臣皆敢えて行く莫し。宰相、公の名を以て聞す。

現代語訳

契丹は晋の時代以来、幽州・薊州を踏み押さえていた。北の辺境の警報が絶えて安らかな年がないことが、通算六十九年に及んだ。景徳元年(一〇〇四)、国を挙げて攻め寄せてきた。天子は寇準の親征の策を用いた。それ以来ふたたび好を通じ、辺境を侵さないこと三十九年であった。元昊が叛いて、戦は長く決着しなかった。契丹の臣のうち、欲深く功を喜ぶ者が、宋を臆病で戦を厭うていると見て、その主に説き、口実を設けてこちらを動かし、晋の高祖が与えた関南の十県を取ろうとした。慶暦三年(一〇四三)、大軍を集めて国境に駐屯させ、その臣の蕭英・劉六符を遣わして訪問させた。仁宗は宰相に命じて、返礼の使者を選ばせた。当時、敵の意図は測りがたく、臣下はみな、あえて行こうとしなかった。宰相は富弼の名を挙げて奏上した。

解説

三十九年の平和が、内側からではなく外側の事情で崩れかけた経緯です。動機がはっきり書かれています。**契丹の臣のうち、欲深く功を喜ぶ者が、宋を臆病で戦を厭うていると見た。**国全体の意思ではなく、一部の臣下の功名心から始まっている。この見立てが、のちの富弼の一撃につながります。そして使者の選定です。**敵の意図は測りがたく、臣下はみな、あえて行こうとしなかった。**行けば戻れないかもしれない場所へ、名前だけが先に届きました。**宰相は富弼の名を挙げて奏上した。**

この章句が説くこと

北鄙の警略ミ寧歳無きこと凡そ六十有九年契丹の臣又た貪りて功を喜ぶ者我を以て怯にして且つ兵を厭うと為す慶暦三年重兵を聚めて境上に屯す時に敵情叵測にして羣臣皆敢えて行く莫し宰相公の名を以て聞す使命危険

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