宋名臣言行録 / 後集巻七・司馬光
安石曰不足者以未得善理財者也公曰善理財者不過頭㑹箕歛以盡民財民窮為盗非國之福安石曰不然善理財者不加賦而上用足公曰天下安有此理天地所生財貨百物止有此數不在民則在官譬如雨澤夏澇則秋旱不加賦而上用足不過設法隂奪民利其害甚於加賦此乃桑□羊欺漢武帝之言太史公書之以見武帝之不明爾至其末年盗賊蜂起幾至於亂若武帝不悔禍昭帝未變法則漢幾亡
新字:安石曰不足者以未得善理財者也公曰善理財者不過頭会箕歛以尽民財民窮為盗非国之福安石曰不然善理財者不加賦而上用足公曰天下安有此理天地所生財貨百物止有此数不在民則在官譬如雨沢夏澇則秋旱不加賦而上用足不過設法陰奪民利其害甚於加賦此乃桑□羊欺漢武帝之言太史公書之以見武帝之不明爾至其末年盗賊蜂起幾至於乱若武帝不悔禍昭帝未変法則漢幾亡
書き下し
安石曰く、足らざるは未だ善く財を理むる者を得ざるを以てなりと。公曰く、善く財を理むる者は頭會箕斂して以て民財を盡くすに過ぎず。民窮して盗と爲るは國の福に非ずと。安石曰く、然らず。善く財を理むる者は賦を加えずして上用足ると。公曰く、天下安んぞ此の理有らんや。天地の生ずる所の財貨百物は止だ此の數有るのみ。民に在らずんば則ち官に在り。譬えば雨澤の夏に澇すれば則ち秋に旱するが如し。賦を加えずして上用足るとは、法を設けて陰かに民の利を奪うに過ぎず。其の害は賦を加うるより甚だし。此れ乃ち桑□羊の漢の武帝を欺きし言なり。太史公之を書して以て武帝の明ならざるを見わすのみ。其の末年に至りて盗賊蜂起し幾ど亂に至る。若し武帝禍を悔いず昭帝法を變ぜずんば、則ち漢幾ど亡びんと。
現代語訳
王安石は言った。「足りないのは、まだよく財を治める者を得ていないからです」。司馬光は言った。「よく財を治める者といっても、頭数で集め箕でかき集めて民の財を尽くすにすぎません。民が窮して盗賊になるのは、国の福ではありません」。王安石は言った。「そうではありません。よく財を治める者は、税を加えずに上の用が足りるようにします」。司馬光は言った。「天下に、どうしてそんな道理がありましょうか。天地の生ずる財貨や品々は、ただこれだけの数しかありません。民のところにないなら、官のところにあるのです。たとえば雨の恵みが夏に多すぎれば、秋には旱になるようなものです。税を加えずに上の用が足りるというのは、法を設けてひそかに民の利を奪うにすぎません。その害は税を加えるよりひどいのです。これこそ桑〔一字を欠く〕羊が漢の武帝を欺いた言葉です。太史公はこれを書き記して、武帝が明らかでなかったことを示しただけです。その末年になって盗賊が蜂起し、ほとんど乱に至りました。もし武帝が禍を悔いず、昭帝が法を変えなかったなら、漢はほとんど亡びていたでしょう」。
解説
この章句が説くこと
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『宋名臣言行録』後集巻七・司馬光公學士王珪・王安石と同じく對す。公言う、災を救い用を節するは宜しく貴近より始むべし。兩府の賜を辭するを聽す可しと。安石曰く、常衮賜饌を辭す。時議以爲えらく、衮は自ら能わざるを知る。當に位を辭すべく、當に禄を辭すべからずと。且つ國用の不足は當今の急務に非ざるなりと。公曰く、衮の禄を辭するは猶お禄を持して位を固むる者より賢れり。國用の不足は眞に急務なり。安石の言は是に非ずと。
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『宋名臣言行録』後集巻七・司馬光爭議已まず。王珪進みて曰く、災を救い用を節するは宜しく貴近より始むべしとの光の言は是なり。然れども費やす所は幾ばくも無し。恐らくは國體を傷つけん。安石の言も亦た是なり。惟だ明主の裁擇のみと。上曰く、朕の意は光と同じ。然れども姑く以て不允を以て之に答うと。日錄に又た云う、臣は今日兩府の郊賚を得て能く國を富ますと謂うに非ざるなり。陛下の此を以て裁省の始めと爲さんことを欲するのみ。且つ陛下強いて之を裁省すれば則ち體を失う。今大臣河北の災傷を以て憂え、公國を體して自ら郊賚を省くを求む。其の請に從うは其の美を成す所以なり。何ぞ體を傷つくること之れ有らんと。
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『宋名臣言行録』後集巻十・韓絳公の相に入るは王荊公の後を繼ぐ。政事に未だ便ならざる者有らば、賢士大夫或いは置きて用いず。公將に更易して之を振舉せんとす。奏す、古者冢宰は國用を制す。今天下の財用の出入は宰相乃ち預り聞かずと。始めて局を中書に置き、天下の財用の數を稽考し、入を量りて以て出と爲す。司馬光を援用せんとす。上曰く、吾光に於いて豈に愛しむ所有らんや。顧だ光未だ肯えて來たらざるのみと。
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『宋名臣言行録』後集巻七・司馬光三司使は天下の財を掌る。不才にして黜くるは可なり。兩府をして其の事を侵さしむ可からず。今制置三司條例司を爲すは何ぞや。宰相は道を以て人主を佐く。尚お安んぞ例を用いん。苟くも例を用うれば則ち胥吏足れり。今看詳中書條例司を爲すは何ぞや。惠卿對うる能わず。則ち公を詆りて曰く、光は侍從と爲る。何ぞ言わざる。言いて從われずんば何ぞ去らざるやと。公作ちて答えて曰く、是れ臣の罪なりと。上曰く、相い與に是非を論ずるのみ。何ぞ是に至らんやと。
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『宋名臣言行録』後集巻七・司馬光安石制置三司條例司を創立し、青苗・□役・水利・均輸の政を建て、提舉官四十餘員を置く。公上疏して逆め其の利害を陳ぶ。後に當に是くの如くなるべし。之を行うこと十餘年、一として公の言の如くならざるは無し。天下傳誦して、公を以て眞の宰相と爲す。田父野老と雖も皆號して司馬相公と爲し、而して婦人孺子も其の君實たるを知るなり。
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『宋名臣言行録』後集巻五・吕誨神宗は天資節儉なり。老宮人の言を得るに因りて、祖宗の時の妃嬪公主の月俸甚だ微なるを知り、其の及ぶ可からざるを嘆ず。安石獨り曰く、陛下果たして能く財を理めば、天下を以て自ら奉ずと雖も可なりと。帝始めて青苗助役の法を主とするに意有り。安石の術は類ミ此くの如し。故に呂誨の彈章に曰く有り、外に朴野を示し、中に狡詐を懷くと。