宋名臣言行録 / 後集巻十三・范祖禹
太皇太后内定大䇿擁立陛下聽政之初詔令所下百姓呼舞至公無私焦刻勞苦專心一意保佑陛下斥逐奸邪裁抑僥倖九年之間始終如一故雖徳澤深厚結於百姓而小人怨者亦不少矣
新字:太皇太后内定大策擁立陛下聴政之初詔令所下百姓呼舞至公無私焦刻労苦専心一意保佑陛下斥逐奸邪裁抑僥倖九年之間始終如一故雖徳沢深厚結於百姓而小人怨者亦不少矣
書き下し
太皇太后内に大策を定めて陛下を擁立す。聽政の初め、詔令の下る所、百姓呼舞す。至公無私、焦刻勞苦、專心一意して陛下を保佑し、奸邪を斥逐し、僥倖を裁抑す。九年の間、始終一の如し。故に德澤深厚にして百姓に結ぶと雖も、而れども小人の怨む者も亦た少なからず。
現代語訳
太皇太后は内々に大方針を定めて陛下を擁立されました。政を聴きはじめた当初、詔が下るたびに民は喜んで踊りました。きわめて公正で私心がなく、身を焦がし削るように苦労され、一心に陛下をお守りし、よこしまな者を追い払い、僥倖を狙う者を抑えられました。九年のあいだ、初めから終わりまで一つのようでした。だから、その徳の恵みは深く厚く民に結びついているとはいえ、小人で恨んでいる者もまた少なくありません。
解説
前任者の九年を要約したうえで、最後の一行が本題への橋になっています。その徳の恵みは深く厚く民に結びついているとはいえ、小人で恨んでいる者もまた少なくありません。よい政治をしたから恨まれなかった、とは書きません。逆です。追い払った分だけ、恨みが残っている。よこしまな者を追い払い、僥倖を狙う者を抑えられました。評価と怨恨は同じ行為から生まれます。だから代替わりの直後が危ない、という筋になります。
この章句が説くこと
太皇太后内に大策を定めて陛下を擁立す聴政の初め詔令の下る所百姓呼舞す奸邪を斥逐し僥倖を裁抑す九年の間始終一の如し徳沢深厚にして百姓に結ぶと雖も而れども小人の怨む者も亦た少なからず恨み実績
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