宋名臣言行録 / 後集巻七・司馬光
公與其兄伯康友愛尤篤伯康年將八十公奉之如嚴父保之如嬰兒毎食少頃則問曰得無飢乎天少冷則拊其背曰衣得無薄乎
新字:公与其兄伯康友愛尤篤伯康年将八十公奉之如厳父保之如嬰児毎食少頃則問曰得無飢乎天少冷則拊其背曰衣得無薄乎
書き下し
公其の兄伯康と友愛尤も篤し。伯康年將に八十ならんとす。公之に奉ずること嚴父の如く、之を保つこと嬰兒の如し。食する毎に少頃なれば則ち問いて曰く、得無く飢えたるかと。天少しく冷ゆれば則ち其の背を拊いて曰く、衣は得無く薄きかと。
現代語訳
司馬光はその兄の伯康と、とりわけ仲がよかった。伯康は年がまもなく八十になろうとしていた。司馬光は兄に仕えることは厳しい父に対するようであり、兄を守ることは赤子に対するようであった。食事のたびに、しばらくすると尋ねて言った。「お腹は空いていませんか」。空が少し冷えると、その背をさすって言った。「着ているものが薄くはありませんか」。
解説
五十一字で、老いた人への向き合い方が二つ書かれています。敬い方と、世話の仕方が別々でした。**兄に仕えることは厳しい父に対するようであり、兄を守ることは赤子に対するようであった。**上に置きながら、手はかける。そして具体が二つだけ挙がっています。**食事のたびに、しばらくすると尋ねて言った。お腹は空いていませんか。**食べた後に聞くのは、量が足りていたかを確かめるためです。言われる前に気づく、という形になっています。
この章句が説くこと
公其の兄伯康と友愛尤も篤し之に奉ずること厳父の如く之を保つこと嬰児の如し食する毎に少頃なれば則ち問いて曰く得無く飢えたるか天少しく冷ゆれば則ち其の背を拊いて曰く衣は得無く薄きか兄弟老い
関連する章句
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