宋名臣言行録 / 前集巻三・張詠
公在崇陽嘗坐城門下見里人有負菜而歸者問何從得之曰買之市公怒曰汝居田里不自種而食何惰耶笞而遣之
新字:公在崇陽嘗坐城門下見里人有負菜而帰者問何従得之曰買之市公怒曰汝居田里不自種而食何惰耶笞而遣之
書き下し
公、崇陽に在り。嘗て城門の下に坐す。里人の菜を負いて歸る者有るを見る。何くより之を得たるかを問う。曰く、之を市に買うと。公怒りて曰く、汝、田里に居り、自ら種えずして食らう。何ぞ惰なるやと。笞ちて之を遣わす。
現代語訳
公が崇陽にいた。あるとき城門の下に坐っていた。里の人が野菜を背負って帰るのを見た。どこで手に入れたのかと尋ねた。「市で買いました」と言った。公は怒って言った。「おまえは田舎に住んでいながら、自分で作らずに食べている。なんという怠け者か」。笞で打って追い返した。
解説
四十六字の、読んでいて引っかかる条です。市で野菜を買っただけの里人を、**自分で作らずに食べているのは怠けだ**として笞で打っています。前の条で茶を抜かせて桑を植えさせた同じ人です。土地の者が自分の食べるものを自分で作る、という一点を政策として押し通した。厳しさが行き過ぎに見える場面も、この書は削らずに残しています。
この章句が説くこと
汝田里に居り自ら種えずして食らう何ぞ惰なるや笞ちて之を遣わす之を市に買うと方針厳格自給
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