宋名臣言行録 / 後集巻六・王安石
公在臺閣侍從時每為人言唐太宗令諌官隨宰相入閤最切於治道後世所當行也及入司事政而孫莘老李公擇在諌職二人者熟公此論遂列奏請舉行之公不可曰是又益兩參政也
新字:公在台閣侍従時毎為人言唐太宗令諌官随宰相入閤最切於治道後世所当行也及入司事政而孫莘老李公択在諌職二人者熟公此論遂列奏請舉行之公不可曰是又益両参政也
書き下し
公臺閣侍從に在りし時、毎に人の爲に言う、唐の太宗は諫官をして宰相に隨いて入閤せしむ。最も治道に切なり。後世の當に行うべき所なりと。政に入り事を司るに及びて、孫莘老・李公擇諫職に在り。二人は公の此の論に熟す。遂に列奏して之を舉行せんことを請う。公不可として曰く、是れ又た兩參政を益すなりと。
現代語訳
王安石が台閣や侍従の職にあったころ、いつも人に語って言った。「唐の太宗は諫官を宰相に随わせて閣に入らせた。最も治めの道にかなっている。後世が行うべきことである」。政に入り事を司るようになると、孫覚と李常が諫官の職にあった。二人は王安石のこの論をよく知っていた。そこで連名で奏上して、これを実行するよう願い出た。王安石は認めずに言った。「それでは、参政をもう二人増やすようなものだ」。
解説
自分がかつて説いた制度を、部下がそのまま持ち出してきた場面です。**二人は王安石のこの論をよく知っていた。**知っていたからこそ、通ると思ったのでしょう。答えは一行でした。**それでは、参政をもう二人増やすようなものだ。**諫官が宰相と同席すれば、実質的に決定に加わることになる。台閣にいたときは治めの道でしたが、決める側に回ると権限の分散に見えます。同じ制度の見え方が、席によって変わりました。
この章句が説くこと
唐の太宗は諫官をして宰相に随いて入閤せしむ最も治道に切なり後世の当に行うべき所なり二人は公の此の論に熟す遂に列奏して之を舉行せんことを請う公不可として曰く是れ又た両参政を益すなり一貫立場
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