宋名臣言行録 / 前集巻六・吕夷簡
太后嘗欲進荆王為皇太叔公力爭以為不可遂止又以荆王子養于宫中長而弗出公因對言及以為不可后曰欲令與皇帝同讀書耳公言皇帝春秋方盛自當親接儒臣日聞典訓今與童稚處無益乞早令就邸他日又極言后曰何至如此公曰前代母后多利于幼稚嫌疑之際不可不慎臣只今在中書聴㫖后寤即令出宫
新字:太后嘗欲進荆王為皇太叔公力争以為不可遂止又以荆王子養于宫中長而弗出公因対言及以為不可后曰欲令与皇帝同読書耳公言皇帝春秋方盛自当親接儒臣日聞典訓今与童稚処無益乞早令就邸他日又極言后曰何至如此公曰前代母后多利于幼稚嫌疑之際不可不慎臣只今在中書聴旨后寤即令出宫
書き下し
太后嘗て荆王を進めて皇太叔と為さんと欲す。公力爭して以て不可と為す。遂に止む。又た荆王の子を以て宫中に養う。長じて出ださず。公、對に因りて言い及び、以て不可と為す。后曰く、皇帝と同に書を讀ましめんと欲するのみと。公言う、皇帝は春秋方に盛んなり。自ら當に親しく儒臣に接して日々に典訓を聞くべし。今、童稚と處るは益無し。乞う、早く邸に就かしめよと。他日、又た極言す。后曰く、何ぞ此くの如きに至らんやと。公曰く、前代の母后、多く幼稚に利あり。嫌疑の際、慎まざる可からず。臣、只だ今、中書に在りて㫖を聴かんと。后寤め、即ち宫を出でしむ。
現代語訳
太后がかつて荊王を進めて皇太叔にしようとした。公は力を尽くして争い、不可とした。そこで取りやめになった。また荊王の子を宮中で養っていた。成長しても出さなかった。公は拝謁の折にそのことに触れ、不可とした。太后は言った。「皇帝と一緒に書を読ませようと思うだけです」。公は言った。「皇帝はまさに年若いさかりです。当然、自ら儒者の臣に親しく接して、日々に典籍と訓えを聞くべきです。いま幼い子と一緒にいても益はありません。どうか早く屋敷へ移らせてください」。後日、また強く述べた。太后は言った。「どうしてそこまでするのか」。公は言った。「前代の母后は、多くは幼い者を立てるのに利がありました。疑いを招く際には、慎まないわけにいきません。臣はいますぐ中書省に控えて、御旨を待ちます」。太后は悟って、すぐに宮から出させた。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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葉隠・聞書第一或人(あるひと)覚悟の体(てい)覚書に、主君の身辺(しんぺん)勤むる者は別けて身持(みもち)覚悟慎むべきことなり。御側(おそば)の者の様子を見て、主人のたけを人が積(つも)るものなり。今は御機嫌悪し、序(つい)でになどと思うて居る内に、不図(ふと)御誤(おんあやまり)もあるべきことなり。又諫言(かんげん)は時を移さず申し上ぐべきことなり。仰せ出(いで)済みて後も、其の者に理を附け、少しづつもよき様に云いなせば、帰参(きさん)も早きものなり。又仕合せ(しあわせ)よき人には、無音(ぶいん)しても苦しからず、侍の義理なり。又科人(とがにん)をわろく云うは不義理の事なり。落ちぶれたる者には随分不憫(ふびん)を加え、何とぞ立ち直す様に致すべきこと、侍の義理なりと、これあり候。
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葉隠・聞書第一御縁組(ごえんぐみ)の時、何某(なにがし)一分(いちぶん)を申し達し候。この事、若き衆(しゅう)よく心得(こころえ)置くべき事なり。その身(み)気味(きみ)よく思うて、云(い)ふべき事を云うて腹切(はらき)りても本望(ほんもう)と思ふべし。よくよく了簡(りょうけん)候へ、何の益(えき)にも立たぬ事なり。我(われ)かやうの事を云うて腹切りても本望と思ふは、なるほど聞(きこ)えたり。曲者(くせもの)などと思ふは以(もっ)ての外(ほか)なる取違(とりちが)ひなり。まづ申し出でたる事その詮(せん)なく、我が身は引き取り、御養育(ごよういく)も仕(つかまつ)らず、追付(おっつ)け御死去(ごしきょ)なされ候に、御看病(ごかんびょう)も仕らず、残念千万(ざんねんせんばん)なり。気過(きす)ぎなる人は多分(たぶん)誤(あやま)る所なり。総(そう)じてその位(くらい)に至らずして諫言(かんげん)するは却(かえ)つて不忠(ふちゅう)なり。誠(まこと)の者ならば、我が存(ぞん)じ寄りたる事を似合(にあ)ひたる人に潜(ひそ)かに内談(ないだん)して、その人の思ひ寄りにさせて云へば、その事調(ととの)はるなり。これ忠節(ちゅうせつ)なり。もし、内談にてその人請(う)け合はずば、また外(ほか)の人にも内談し、とかく色々心遣(こころづか)ひをして、その事さへ調はるる様にすれば、大忠節(だいちゅうせつ)も知れぬ様にして居るものなり。幾人(いくにん)に内談しても、埒(らち)明かざる時は力に及ばず、その分(ぶん)にて打ち過ぎ、または起こし立て起こし立てすれば、多分叶(かな)ふものなり。我こそ曲者と云はるる名聞(みょうもん)ばかりにて、我が手柄(てがら)にするゆゑ調はざるなり。申し出でたる事益には立たず、人に難(なん)ぜられ、我が身を崩(くず)したる人数多(あまた)これあるなり。畢竟(ひっきょう)真(しん)の志(こころざし)なきゆゑなり。我が身を一向(いっこう)に捨て捨てて、主君の上(うえ)どうなりとも好き様にとさへ思へば、紛(まぎ)るる事はこれなく候なり。
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葉隠・聞書第一主人に諫言(かんげん)をするに色々あるべし。志(こころざし)の諫言は、脇(わき)に知れぬ様にするなり。御気(おんき)にさからわぬ様にして御癖(おんくせ)を直し申すものなり。細川頼之(ほそかわよりゆき)が忠義などなり。昔、御道中にて、御年寄(おとしより)何某(なにがし)承り、「某(それがし)、一命を捨てて申し上ぐべく候。段々御延引(ごえんいん)の上に脇寄(わきよ)りなど遊ばされ候節(せつ)、以ての外(ほか)然(しか)るべからず候。」と、諸人(しょにん)に向かい、「御暇乞(おいとまごい)仕り候。」と詞(ことば)を渡し、行水(ぎょうずい)、白帷子(しろかたびら)下着(したぎ)にて御前(ごぜん)へ罷出(まかりい)でられ、追付(おっつけ)退出、また諸人に向かい、「拙者(せっしゃ)申し上げ候儀、聞召(きこしめ)し分けられ本望至極(ほんもうしごく)、皆様へ一度御目に懸(かか)り候儀、不思議の仕合(しあわ)せ。」など広言(こうげん)申され候。これ皆、主人の非を顕(あらわ)し、我が忠を揚げ、威勢(いせい)を立つる仕事なり。多分、他国者(たこくもの)にこれあるなり。
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葉隠・聞書第一諫言(かんげん)の道に、我(われ)其の位(くらい)にあらずば、其の位の人に言はせて、御誤(おあやまり)直(なお)る様にするが大忠(たいちゅう)なり。此の階(かい)の為に諸人(しょにん)と懇意(こんい)する所なり。我が為にすれば追従(ついしょう)なり。一方(いっぽう)は我等(われら)荷(にな)ひ申す心入(こころいれ)からなり。成程(なるほど)なるものなり。
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荀子・大略篇人の臣下たる者は、諫むること有るも訕ること無く、亡ること有るも疾むこと無く、怨むこと有るも怒ること無し。
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尚書・皐陶謨予(われ)違(たが)わば、汝(なんじ)弼(たす)けよ。汝、面従(めんじゅう)することなく、退(しりぞ)きて後言(こうげん)あることなかれ。