宋名臣言行録 / 後集巻二・歐陽修
除判太原府公辭求知蔡州且曰時多喜新奇而臣思守拙衆方興功利而臣欲尋常執政知其終不附已俄詔以本官知蔡州
新字:除判太原府公辞求知蔡州且曰時多喜新奇而臣思守拙衆方興功利而臣欲尋常執政知其終不附已俄詔以本官知蔡州
書き下し
太原府を判ずるを除せらる。公辭して蔡州を知らんことを求む。且つ曰く、時に新奇を喜ぶ多くして、臣は拙を守るを思う。衆は方に功利を興し、臣は尋常を欲すと。執政、其の終に己に附かざるを知る。俄かに詔して本官を以て蔡州を知らしむ。
現代語訳
太原府の長官に任じられた。欧陽脩は辞退して、蔡州の知事となることを願い出た。そのうえで言った。「時勢は新奇なものを喜ぶ者が多いが、臣は拙さを守ることを思います。人々はまさに功と利を興そうとしていますが、臣はふつうであることを望みます」。執政は、この人が最後まで自分に付かないことを悟った。ほどなく詔して、そのままの官位で蔡州の知事とした。
解説
大きな任地を断って、小さな任地を願い出た理由です。能力や体力の話にしていません。**時勢は新奇なものを喜ぶ者が多いが、臣は拙さを守ることを思います。**新法が次々に出ていた時期です。合わないことを、politeな形ではあるが正面から書いた。**人々はまさに功と利を興そうとしていますが、臣はふつうであることを望みます。**これは辞退の弁であると同時に、施政方針への評でもありました。受け取る側もそう読んでいます。**執政は、この人が最後まで自分に付かないことを悟った。**
この章句が説くこと
太原府を判ずるを除せらる公辞して蔡州を知らんことを求む時に新奇を喜ぶ多くして臣は拙を守るを思う衆は方に功利を興し臣は尋常を欲す執政其の終に己に附かざるを知る辞退新奇
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