宋名臣言行録 / 前集巻八・狄青
時余靖軍於賔州聞智髙將至棄其城遣廣南西路鈐轄陳某將萬人擊智髙戰敗遁歸青至賔州余陳皆來迎謁青悉集將佐於幕府立陳某於庭下數其敗軍之罪并軍校數十人皆斬之諸將股栗莫敢仰視靖起拜曰某之失律亦靖節制之罪青曰舍人文臣軍旅之責非所任也於是勒兵而進智髙大敗捷書至上喜謂龎籍曰嶺南非卿執議之堅不能平今日皆卿功也青還上欲以爲樞宻使同平章事籍曰昔曹彬平江南太祖謂之曰朕欲以卿為使相然今敵尚多卿爲使相安肯復爲朕盡死力耶賜錢二十萬緡而巳今青雖有功未若彬之大若賞以此官則富貴極矣異日復有冦盗青更立功將以何官賞之且青起軍中致位二府衆論紛然爲國朝未有此比今幸而立功論者方息若又賞之太過是又使青得罪於衆人也臣所言非徒便於國體亦爲青謀也昔衛青巳爲大將軍封侯立功漢武帝更封其子爲侯陛下若謂賞功未盡更宜官其諸子争之累日上乃許之加青䕶國軍節度仍遷諸子官既而議者多謂青賞薄石全彬復爲青訟功於中書竟以爲樞宻使
新字:時余靖軍於賔州聞智高将至棄其城遣広南西路鈐轄陳某将万人擊智高戦敗遁帰青至賔州余陳皆来迎謁青悉集将佐於幕府立陳某於庭下数其敗軍之罪并軍校数十人皆斬之諸将股栗莫敢仰視靖起拝曰某之失律亦靖節制之罪青曰舎人文臣軍旅之責非所任也於是勒兵而進智高大敗捷書至上喜謂龎籍曰嶺南非卿執議之堅不能平今日皆卿功也青還上欲以為枢宻使同平章事籍曰昔曹彬平江南太祖謂之曰朕欲以卿為使相然今敵尚多卿為使相安肯復為朕尽死力耶賜銭二十万緡而巳今青雖有功未若彬之大若賞以此官則富貴極矣異日復有寇盗青更立功将以何官賞之且青起軍中致位二府衆論紛然為国朝未有此比今幸而立功論者方息若又賞之太過是又使青得罪於衆人也臣所言非徒便於国体亦為青謀也昔衛青巳為大将軍封侯立功漢武帝更封其子為侯陛下若謂賞功未尽更宜官其諸子争之累日上乃許之加青䕶国軍節度仍遷諸子官既而議者多謂青賞薄石全彬復為青訟功於中書竟以為枢宻使
書き下し
時に余靖、賔州に軍す。智髙の將に至らんとするを聞き、其の城を棄つ。廣南西路鈐轄陳某を遣わし、萬人を將いて智髙を擊たしむ。戰い敗れて遁げ歸る。青、賔州に至る。余・陳皆な來りて迎謁す。青、悉く將佐を幕府に集め、陳某を庭下に立たしめ、其の敗軍の罪を數う。并びに軍校數十人、皆な之を斬る。諸將股栗し、敢えて仰ぎ視る莫し。靖起ちて拜して曰く、某の律を失うは、亦た靖の節制の罪なりと。青曰く、舍人は文臣なり。軍旅の責は任ずる所に非ざるなりと。是に於て兵を勒して進む。智髙大敗す。捷書至る。上喜びて龎籍に謂いて曰く、嶺南、卿の執議の堅きに非ずんば平らぐ能わず。今日、皆な卿の功なりと。青還る。上、以て樞宻使・同平章事と爲さんと欲す。籍曰く、昔、曹彬、江南を平らぐ。太祖之に謂いて曰く、朕、卿を以て使相と爲さんと欲す。然れども今、敵尚お多し。卿、使相と爲らば、安んぞ肯えて復た朕の爲に死力を盡くさんやと。錢二十萬緡を賜うのみ。今、青、功有りと雖も、未だ彬の大なるが若くならず。若し賞するに此の官を以てせば、則ち富貴極まれり。異日、復た冦盗有りて青更に功を立てば、將に何の官を以て之に賞せんとするや。且つ青、軍中より起こりて位を二府に致す。衆論紛然たり。國朝、未だ此の比有らずと爲す。今、幸いにして功を立て、論ずる者方に息む。若し又た之を賞すること太だ過ぐれば、是れ又た青をして衆人に罪を得しむるなり。臣の言う所は、徒だ國體に便なるのみに非ず。亦た青の爲に謀るなり。昔、衛青、巳に大將軍と爲り侯に封ぜられ功を立つ。漢武帝、更に其の子を封じて侯と爲す。陛下、若し賞功未だ盡くさずと謂わば、更に宜しく其の諸子を官すべしと。之を爭うこと累日。上乃ち之を許す。青に䕶國軍節度を加え、仍りて諸子の官を遷す。既にして議する者、多く青の賞薄しと謂う。石全彬、復た青の爲に功を中書に訟う。竟に以て樞宻使と爲す。
現代語訳
当時、余靖は賓州に軍していた。儂智高が来ようとしていると聞いて、その城を捨てた。広南西路鈐轄の陳某を遣わし、一万人を率いて儂智高を撃たせた。戦って敗れて逃げ帰った。狄青が賓州に着いた。余靖と陳某がどちらも出迎えに来た。狄青は将と副官をすべて幕府に集め、陳某を庭に立たせ、その敗軍の罪を数え上げた。あわせて軍の校尉数十人を、みな斬った。諸将は足を震わせ、あえて顔を上げて見る者がなかった。余靖は立って拝礼して言った。「陳某が規律を失ったのは、やはり私の統制の罪です」。狄青は言った。「舎人は文臣です。軍旅の責めは、任じられているところではありません」。そこで兵を整えて進んだ。儂智高は大敗した。勝報が届いた。帝は喜んで龐籍に言った。「嶺南は、卿が固く主張しなければ平らげられなかった。今日のことは、みな卿の功だ」。狄青が帰った。帝は枢密使・同平章事にしようとした。龐籍は言った。「昔、曹彬が江南を平らげた。太祖は言われた。『私は卿を使相にしようと思う。しかしいま敵はまだ多い。卿が使相になったら、どうしてもう一度私のために死力を尽くしてくれようか』。銭二十万緡を賜っただけであった。いま狄青に功があるとはいえ、まだ曹彬ほど大きくはありません。もしこの官で賞せば、富貴は極まります。いつかまた賊が出て狄青がさらに功を立てたら、どんな官で賞するのですか。そのうえ狄青は軍中から起こって二府の位に至りました。多くの議論が紛糾しています。本朝にまだこういう例が無いとされています。いま幸いにも功を立てて、論ずる者がようやく静まりました。もしそのうえ賞が過ぎれば、それはまた狄青に人々の憎しみを負わせることになります。臣が申し上げるのは、ただ国の体面に都合がよいだけではありません。狄青のために謀っているのです。昔、衛青がすでに大将軍となり侯に封じられて功を立てました。漢の武帝は、さらにその子を封じて侯としました。陛下がもし賞が尽くされていないとお考えなら、その子らを官に就けるのがよいでしょう」。何日も争った。帝はそれを許した。狄青に護国軍節度を加え、そのうえ子らの官を進めた。ほどなく議論する者の多くが、狄青の賞が薄いと言った。石全彬がまた狄青のために功を中書省に訴えた。けっきょく枢密使とした。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『宋名臣言行録』前集巻八・狄青初め青、自ら智髙を擊たんことを請う。諌官韓絳、上言す、青は武人なり。專任するに足らず。固く侍從の文臣を以て之が副と爲さんことを請うと。上、以て執政に問う。時に龎籍、獨り相と爲る。對えて曰く、屬者、王師の屢々敗るる所以は、皆な大將自ら輕んじ、偏禆人人自ら用い、賊に遇いて或いは進み或いは退き、力、制する能わざるに由るなり。今、青は行伍より起こる。若し侍從の臣を以て之に副えば、彼、青を視ること無きが如し。青の號令、復た行うを得ず。是れ覆車の軌を循るなり。青、昔、鄜延に在りて臣の麾下に居る。沉勇にして智略有り。若し專ら智髙の事を以て之に委ね、青をして先ず威を以て衆を齊えしめ、然る後に之を用いば、必ず能く賊を辦ぜん。幸わくは陛下、以て憂いと爲す勿かれと。上曰く、善しと。是に於て詔して、嶺南の用兵、皆な青の節度を受けしむ。
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『宋名臣言行録』前集巻八・狄青智髙、兵敗れて邕州に奔る。其の下、皆な其の窟穴を窮めんと欲す。青も亦た從わず。以謂えらく、利に趨り勢いに乘じて不測の城に入るは、大將の事に非ずと。智髙、因りて免るるを獲たり。天下皆な青の邕州に入らずして、智髙を埀死に脱せしむるを罪とす。然れども青の兵を用うる、勝を主とするのみ。竒功を求めず。故に未だ嘗て大敗せず。功を計るに最も多し。卒に名將と爲る。譬えば奕棋の如し。巳に敵に勝てば止む可きのみ。然るに猶お攻擊して已まざれば、徃徃にして大敗す。此れ青の戒むる所なり。利に臨みて能く戒む。乃ち青の人に過ぐる處なり。
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『宋名臣言行録』前集巻八・狄青時に智髙、還りて邕州を守る。青、崑崙闗の險阨、據らるる所と爲るを懼る。乃ち賔州に令を下し、其の五日の糧、士卒を休ましむ。賊の諜、備えを爲さずと知る。是の夜、大風雨あり。青、衆を率いて半夜の時、崑崙闗を度る。既に度りて喜びて曰く、賊、此を守るを知らず。爲す能う無きなり。彼、夜半風雨にて吾れ敢えて來らずと謂う。吾が來るは、其の不意に出づる所以なりと。巳に邕州に近づく。賊方に覺る。歸仁舖に逆戰す。青、髙きに登りて之を望む。賊、坡上に據る。我が軍之に薄る。禆將孫節、流矢に中りて死す。青、急に軍を麾きて進ましむ。人人皆な殊死して戰う。是より先、青、巳に蕃落の馬二千を縱ちて賊の後に出でしむ。是に至り前後合擊す。賊の標牌軍、馬軍の衝突する所と爲り、皆な駐まる能わず。軍士又た馬上の鐡連枷を縱ちて之を擊つ。遂に皆な披靡し、相い枕藉して死す。賊遂に大敗す。智髙、果たして城を焚きて遁れ去る。青、先に公亮と言う、軍制を立て賞罰を明らかにす、賊、見るを得可からず、標牌は騎兵に當たる能わずと。皆な料る所の如し。青、堂户の上に坐して兵を數千里の外に論ず。辭約にして慮明なり。古の名將と雖も、何を以て此に加えん。豈に特だ一時の武人の崛起する者ならんや。
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『宋名臣言行録』前集巻八・狄青青の命を受くるや、貴近に因りて青に從いて行かんことを求むる者有り。青、延見して之に謂いて曰く、君、青に從いて行かんと欲す。此れ青の求むる所なり。何ぞ必ずしも人の言に因らんや。然れども智髙は小冦なり。青を遣わして行かしむるに至る。以て事の急なるを知る可し。青に從うの士、能く賊を擊ちて功有らば、朝廷に厚賞有り。青、敢えて之が爲に請わずんばあらず。若し徃きて賊を擊つ能わずんば、則ち軍中の法重し。青、敢えて私せざるなり。君、其れ之を思え。行くを願わば則ち即ち奏して君を取らん。獨り君のみに非ず。君の親戚・交遊の士、幸わくは皆な此の言を以て之に告げよ。茍しくも行かんと欲する者は、皆な青の求むる所なりと。是に於て聞く者大いに駭き、復た敢えて言いて青に從いて行かんことを求むる者無し。其の辟取する所は、皆な青の素より知る所にして、以て用う可しと爲す者なり。人望固より巳に歸せり。
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『宋名臣言行録』前集巻八・狄青廣源州の蠻儂智髙、其の衆を以て叛く。南方の備え無きに乗じ、連ねて邕・賔等七州を破り、廣州に至る。至る所、吏民を殺し、縱掠す。東南大いに駭く。朝廷、驍將張忠・蔣偕を遣わし、驛を馳せて之を討たしむ。甫めて至れば則ち皆な摧䧟する所と為る。又た楊畋・孫沔・余靖を遣わして招撫せしむ。皆な久しくして功無し。仁宗之を憂う。遂に樞宻副使狄青を遣わして宣撫使と爲し、衆を率いて之を擊たしむ。翰林學士曽公亮、以て方畧を爲す所を問う。青、初め肯えて言わず。公亮固く之を問う。青廼ち曰く、比者、軍制立たず。又た廣州の敗より、賞罰明らかならざるのみ。今、當に軍制を立て賞罰を明らかにすべきのみ。然れども恐らくは賊、青の來るを見て、以謂えらく遣わす所の官重しと。勢い必ず之に見ゆるを得ざらん。公亮又た問う、賊の標牌、殆ど當たる可からず。如何と。青曰く、此れ易きのみ。標牌は歩兵なり。騎兵に當たれば則ち施す能わずと。
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『宋名臣言行録』前集巻八・狄青行くに及び、衆を率いて日に一驛に過ぎず。至る所の州、輙ち士を休むること一日。潭州に至る。遂に行伍を立て約束を明らかにす。軍の行止、皆な行列を成す。鍤を荷い粮を裹み、守禦の備えを持するに至るまで、皆な區處有り。軍人の逆旅の菜一把を奪う者有り。之を斬りて以て狥う。是に於て一軍肅然として、敢えて聲氣を出だす無し。萬餘人行きて未だ嘗て聲を聞かず。青、毎に郵驛に止まる。四面、兵を嚴にす。門毎に皆な諸司使二人あり。人の妄りに出入するを得る無し。青に見えんことを求むる者は、即時に通ずるを得ざる無し。其の野宿は皆な營栅を成す。青の居る所、四面兵を陳ね、弓弩を彀くこと皆な數重。將いる所の精鋭、左右に列布して守衛甚だ嚴なり。青の未だ至らざるに方たり、諸將屢々敗れ屢々走る。皆な以て常と爲す。是に至り、桂州を知る陳某・英州を知る蘇緘、賊と戰いて復た敗走すること常の時の如し。青、賔州に至る。悉く陳と禆校凡そ三十二人を召し、其の罪を數えて軍法に按じて之を斬る。惟だ蘇緘のみ某の所に在り。械繫して上に聞せしむ。是に於て軍中、人人奮勵して死戰の心有り。