宋名臣言行録 / 後集巻五・范鎮
公少舉進士善文賦塲屋師之補國子監生及貢院奏名皆第一故事殿廷唱第過三人則為奏名之首者必抗聲自陳以祈恩雖考校在下天子必擢置上列以吳春卿歐陽永叔之耿介猶不免從衆景仁獨不然左右與並立者屢趣之使自陳景仁不應至七十九人始唱名及之景仁出拜退就列訖無一言衆皆服其安恬自是始以自陳為恥舊風遂絶
新字:公少舉進士善文賦塲屋師之補国子監生及貢院奏名皆第一故事殿廷唱第過三人則為奏名之首者必抗声自陳以祈恩雖考校在下天子必擢置上列以吳春卿欧陽永叔之耿介猶不免従衆景仁独不然左右与並立者屢趣之使自陳景仁不応至七十九人始唱名及之景仁出拝退就列訖無一言衆皆服其安恬自是始以自陳為恥旧風遂絶
書き下し
公少くして進士に舉げらる。文賦に善く、塲屋之を師とす。國子監生に補せられ、貢院の奏名に及ぶまで皆第一なり。故事、殿廷の唱第、三人を過ぐれば則ち奏名の首たる者は必ず聲を抗げて自ら陳べて以て恩を祈る。考校下に在りと雖も、天子必ず擢んでて上列に置く。吳春卿・歐陽永叔の耿介を以てすら猶お衆に從うを免れず。景仁獨り然らず。左右と並び立つ者屢ミ之を趣して自ら陳べしむ。景仁應ぜず。七十九人に至りて始めて名を唱えて之に及ぶ。景仁出でて拜し、退きて列に就く。訖に一言無し。衆皆其の安恬に服す。是れより始めて自ら陳ぶるを以て恥と爲す。舊風遂に絶ゆ。
現代語訳
范鎮は若くして進士に挙げられた。文と賦に巧みで、受験の場ではこれを手本とした。国子監の学生に補せられ、貢院の合格者名簿に至るまで、いずれも首席であった。先例では、殿中での合格発表が三人を過ぎると、名簿の首席であった者は必ず声を張り上げて自ら申し立て、恩を願った。採点の順位が下であっても、天子は必ず引き上げて上位に置いた。呉育や欧陽脩の潔癖さをもってしても、なお人並みに従うのを免れなかった。范鎮ひとりがそうしなかった。傍らに並んで立つ者たちが、たびたび促して自ら申し立てさせようとした。范鎮は応じなかった。七十九人目になって、はじめて名が呼ばれてそこに及んだ。范鎮は出て拝し、退いて列に就いた。ついに一言もなかった。人々はみな、その落ち着き払ったさまに服した。これ以来、自ら申し立てることを恥とするようになった。旧来の風はついに絶えた。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『宋名臣言行録』後集巻五・范鎮韓維上言す、公は仁宗の朝に首めて建儲の議を開く。其の後大臣繼いで論奏有り。先帝其の言を追錄し、存沒皆恩を推す。而して鎮は未だ嘗て人に語らず。人も亦た敢えて言を爲す者莫し。顔子の善を伐らず、介之推の禄を言わずと雖も、過ぐる能わざるなりと。悉く公の十九疏を以て之を上る。端明殿學士を拜す。
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『宋名臣言行録』後集巻五・范鎮公謝を得たり。蘇軾往きて之を賀して曰く、公退くと雖も名益ミ重しと。公愀然として曰く、君子は言聽かれ計從われ、患いを未萌に消し、天下をして陰に其の賜を受けしめて、智名勇功無し。吾獨り此を爲すを得ざるは命なるかな。天下をして其の害を受けしめて吾は其の名を享く。吾何の心ぞやと。軾慙じて退く。
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『宋名臣言行録』後集巻五・范鎮學士院に召試せらる。詩に采霓の字を用う。學士、沈約の郊居賦の雌霓連婘を以て、霓を讀みて入聲と爲し、景仁を失韻と爲す。是に由りて館閣校勘を除せらる。殊に知らず、約の賦は但だ聲律の便美を取るのみにして、霓の平聲に讀む可からざるに非ざるを。當時の學ある者は皆憤鬱を爲す。而して公之に處すること晏然として辨ぜず。
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『宋名臣言行録』後集巻十・韓維公志篤く學を好む。嘗て進士を以て禮部に薦めらるるも、父執政に任ぜらるるを以て廷試に就かず。乃ち父の任を以て將作監主簿を守る。外艱に丁り、服除して門を闔じて仕えず。仁宗搢紳の奔競を患え、近臣に諭して曰く、恬退守道の者を旌擢すれば則ち躁求する者は自ら當に恥を知るべしと。是に於いて宰相文彦博・宋庠等公の古を好み學を嗜み静退に安んずるを言い、甄錄を加えて以て風俗を厚くせんことを乞う。召して學士院に試みんとす。辭して赴かず。國子監主簿を除す。
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『宋名臣言行録』後集巻五・范鎮唐の宣宗より以來、人の嗣を立つるを言うを聞くを欲せず。萬一之を言う者有らば、輒ち齒を切して之を疾み、悖叛と異なる無し。而して景仁獨り倡えて之を言うこと十餘章にして已まず。身と宗族とを視ること鴻毛の如し。後人景仁の恙無きを見て、繼いで之を爲す者は則ち有り。然れども景仁は不測の淵を冒す。勇無くして能く之をせんや。人の情、孰れか天子を畏れざらん。執政と親愛の隆き者は孰れか父子に若かん。執政は天子の父を尊ばんと欲し、而して景仁は古義を引きて之を爭う。勇無くして能くせんや。禄と位とは皆人の貪る所なり。或いは老いて且つ病み、前に冀う可き無きも、猶お戀戀として舍つるに忍びず。況んや景仁は身已に通顯、聲望有り、公相を視ること跬歩の遠き無し。言の行われざるを以て年六十三にして即ち衣を拂いて歸り、終身復た起たず。勇無き者能くせんや。
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『宋名臣言行録』後集巻五・范鎮仁宗即位三十五年、未だ繼嗣有らず。嘉祐の初め疾を得たり。中外危恐す。公獨り奮いて曰く、天下の事に尚お此より大なる者有らんやと。即ち上疏して曰く、太祖は其の子を舍てて太宗を立つ。此れ天下の大公なり。周王既に薨じて、眞宗は宗室の子を取りて之を禁中に養う。此れ天下の大慮なり。願わくは陛下、宗室の賢者を擇び、其の禮物を異にして之を政事に試み、以て天下の心を係けよと。章累ミ上るも報ぜられず。因りて門を闔ざして罪を請う。