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宋名臣言行録 / 後集巻二・歐陽修

自云學道三十年所得者平心無怨惡爾公初以范希文事得罪於吕相逺貶三峽流落累年吕公罷相公始被進擢後為范公作神道碑言西事時吕公擢用希文盛稱吕之賢能釋私憾而共力於國家希文子純仁大以為不然刻石則輙削去此一節云我父至死未嘗解仇

新字:自云学道三十年所得者平心無怨悪爾公初以范希文事得罪於呂相遠貶三峡流落累年呂公罷相公始被進擢後為范公作神道碑言西事時呂公擢用希文盛称呂之賢能釈私憾而共力於国家希文子純仁大以為不然刻石則輙削去此一節云我父至死未嘗解仇

書き下し

自ら云う、道を學ぶこと三十年、得る所の者は心を平らかにして怨惡無きのみと。公初め范希文の事を以て呂相に罪を得、遠く三峽に貶せられて流落すること累年なり。呂公相を罷めて、公始めて進擢を被る。後に范公の爲に神道碑を作り、西事の時、呂公の希文を擢用するを言い、盛んに呂の賢を稱し、能く私憾を釋きて國家に力を共にすと爲す。希文の子純仁大いに以て然らずと爲し、石に刻むには則ち輒ち此の一節を削り去りて云う、我が父は死に至るまで未だ嘗て仇を解かずと。

現代語訳

自ら言った。「道を学ぶこと三十年、得たものは、心を平らかにして怨みや憎しみが無いということだけである」。欧陽脩ははじめ范仲淹の一件によって呂夷簡から罪を得て、遠く三峡に貶められ、何年も落ちぶれていた。呂夷簡が宰相を辞めてから、欧陽脩はようやく引き上げられた。後に范仲淹のために神道碑を書き、西方の事のとき呂夷簡が范仲淹を抜擢したことを述べ、さかんに呂夷簡の賢さを称え、私怨を捨てて国家のために力を合わせたのだ、とした。范仲淹の子の純仁はこれをまったく承服せず、石に刻むにあたって、この一節を削り去って言った。「わが父は死ぬまで、一度も仇を解いてはいない」。

解説

書いた側の意図は明らかです。かつて自分を落とした相手を、その相手と対立した人の碑の中で褒めている。**私怨を捨てて国家のために力を合わせたのだ。**和解の記録を残そうとしました。遺族はそれを認めませんでした。**石に刻むにあたって、この一節を削り去った。**理由も一行だけです。**わが父は死ぬまで、一度も仇を解いてはいない。**書き手が描いた父と、子が知っている父が食い違った。碑文は誰のものか、という問いがそのまま残ります。

この章句が説くこと

道を学ぶこと三十年得る所の者は心を平らかにして怨悪無きのみ能く私憾を釈きて国家に力を共にすと為す希文の子純仁大いに以て然らずと為す我が父は死に至るまで未だ嘗て仇を解かず和解遺族

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