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宋名臣言行録 / 後集巻十三・陳瓘

張天覺晚年亦好佛重道建華嚴閣作醮籙㑹黄冠釋子紛紛從之公雖被其薦引然素未相識及通書也至是代書簡之曰辟榖非真道談空失自然何如勲業地無愧是神仙

新字:張天覚晩年亦好仏重道建華厳閣作醮籙会黄冠釈子紛紛従之公雖被其薦引然素未相識及通書也至是代書簡之曰辟榖非真道談空失自然何如勲業地無愧是神仙

書き下し

張天覺晚年亦た佛を好み道を重んず。華嚴閣を建て、醮籙の會を作す。黄冠釋子紛紛として之に從う。公其の薦引を被ると雖も、然れども素より相い識らず、書を通ずるに及ばざるなり。是に至りて代書し、之を簡にして曰く、「辟穀は真の道に非ず、空を談ずるは自然を失う。何如ぞ勲業の地、愧づる無きは是れ神仙」と。

現代語訳

張商英は晩年、仏を好み道を重んじた。華厳閣を建て、道教の祈祷の会を催した。道士や僧が続々とこれに従った。陳瓘はその人の推挙を受けた身であったが、もともと面識がなく、手紙を交わすまでには至っていなかった。ここに至って手紙の代わりに詩を書き、それを簡潔に贈って言った。「穀を断つのはまことの道ではない、空を談じては自然を失う。それよりも、功業を立てるその場において、恥じるところがないことこそ神仙である」。

解説

恩人にあたる相手への、面識のないままの一首です。まず二つを否定しました。**穀を断つのはまことの道ではない、空を談じては自然を失う。**修行の形と、言葉の遊び。どちらも道そのものではない、と。そのうえで置き換えます。**功業を立てるその場において、恥じるところがないことこそ神仙である。**仕事の現場を降りずに、そこで恥じないでいることを、神仙と呼びました。恩を受けた相手に、二十八字だけ送っています。

この章句が説くこと

張天覚晩年亦た仏を好み道を重んず華厳閣を建て醮籙の会を作す公其の薦引を被ると雖も然れども素より相い識らず辟穀は真の道に非ず空を談ずるは自然を失う何如ぞ勲業の地愧づる無きは是れ神仙修行仕事

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