宋名臣言行録 / 前集巻八・吳育
公爲政簡嚴其治開封尤先豪猾曰吾何有以及斯人去其為害者而巳
新字:公為政簡厳其治開封尤先豪猾曰吾何有以及斯人去其為害者而巳
書き下し
公の政を爲すは簡嚴なり。其の開封を治むるに、尤も豪猾を先にす。曰く、吾れ何ぞ以て斯の人に及ぶ有らん。其の害を爲す者を去るのみと。
現代語訳
公の政は簡素で厳しかった。開封を治めるには、とりわけ有力なならず者を先にした。言った。「私にどうして、この人たちみなに手が届くことがあろう。害をなす者を除くだけだ」。
解説
二十八字の条です。**私にどうして、この人たちみなに手が届くことがあろう。害をなす者を除くだけだ。**全部は見られない、と最初に認めています。だから優先順位を、有力なならず者に置いた。「簡素で厳しい」の中身が、この一行にあります。多くを緩くするために、少数を厳しくする。前に読んだ韓億の「小さな過ちを拾い集めるな」と、同じ考え方の別の言い方です。
この章句が説くこと
公の政を為すは簡厳なり其の開封を治むるに尤も豪猾を先にす吾れ何ぞ以て斯の人に及ぶ有らん其の害を為す者を去るのみ優先簡素厳格
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『宋名臣言行録』後集巻九・曾鞏州を爲むるに務めて民の疾苦を去り、姦強を急にして貧弱に寛やかなり。曰く、人の害と爲る者を去らずんば則ち吾が民寧からずと。是の時州縣未だ民に屬して保伍と爲さず。公獨り之を行う。部中をして居人・行旅の出入經宿を譏察せしめ、皆籍記有り。盗有らば則ち鼓を鳴らして相い援く。又た方略を設け賞を明らかにして急を構え追捕す。且つ人の自ら言うを開く。故に盗發すれば輒ち得たり。
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