宋名臣言行録 / 後集巻九・蘇轍
至於其他事有失當何世無之父作於前子救於後前後相濟此則聖人之孝也
新字:至於其他事有失当何世無之父作於前子救於後前後相済此則聖人之孝也
書き下し
其の他の事に失當有るに至りては、何の世にか之れ無からん。父は前に作し、子は後に救う。前後相い濟う。此れ則ち聖人の孝なり。
現代語訳
そのほかの事に当を失したものがあるのは、どの世にないことがあろうか。父が前で作り、子が後で救う。前と後が互いを補い合う。これこそ聖人の孝である。
解説
改めることと孝が両立する、と言い切った一段です。**父が前で作り、子が後で救う。前と後が互いを補い合う。これこそ聖人の孝である。**改めないことが孝だ、という理屈をひっくり返しています。父の仕事に足りないところがあったとき、そのまま残すのは孝ではない。救うのが孝だ、と。しかも失当があること自体は、責めていません。**どの世にないことがあろうか。**誰でも間違える、という前提から始めています。
この章句が説くこと
其の他の事に失当有るに至りては何の世にか之れ無からん父は前に作し子は後に救う前後相い済う此れ則ち聖人の孝なり継承修正
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論語・里仁篇子曰く、三年父の道を改むること無きは、孝と謂う可し。
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