宋名臣言行録 / 後集巻五・范鎮
自唐宣宗以來不欲聞人言立嗣萬一有言之者輙切齒疾之與悖叛無異而景仁獨倡言之十餘章不已視身與宗族如鴻毛後人見景仁無恙而繼為之者則有矣然景仁冒不測之淵無勇能之乎人之情孰不畏天子與執政親愛之隆者孰若父子執政欲尊天子之父而景仁引古義以爭之無勇能之乎禄與位皆人所貪或老且病前無可冀猶戀戀不忍舍況景仁身已通顯有聲望視公相無跬步之逺以言不行年六十三即拂衣歸終身不復起無勇者能之乎
新字:自唐宣宗以来不欲聞人言立嗣万一有言之者輙切歯疾之与悖叛無異而景仁独倡言之十余章不已視身与宗族如鴻毛後人見景仁無恙而継為之者則有矣然景仁冒不測之淵無勇能之乎人之情孰不畏天子与執政親愛之隆者孰若父子執政欲尊天子之父而景仁引古義以争之無勇能之乎禄与位皆人所貪或老且病前無可冀猶恋恋不忍舎況景仁身已通顕有声望視公相無跬歩之遠以言不行年六十三即払衣帰終身不復起無勇者能之乎
書き下し
唐の宣宗より以來、人の嗣を立つるを言うを聞くを欲せず。萬一之を言う者有らば、輒ち齒を切して之を疾み、悖叛と異なる無し。而して景仁獨り倡えて之を言うこと十餘章にして已まず。身と宗族とを視ること鴻毛の如し。後人景仁の恙無きを見て、繼いで之を爲す者は則ち有り。然れども景仁は不測の淵を冒す。勇無くして能く之をせんや。人の情、孰れか天子を畏れざらん。執政と親愛の隆き者は孰れか父子に若かん。執政は天子の父を尊ばんと欲し、而して景仁は古義を引きて之を爭う。勇無くして能くせんや。禄と位とは皆人の貪る所なり。或いは老いて且つ病み、前に冀う可き無きも、猶お戀戀として舍つるに忍びず。況んや景仁は身已に通顯、聲望有り、公相を視ること跬歩の遠き無し。言の行われざるを以て年六十三にして即ち衣を拂いて歸り、終身復た起たず。勇無き者能くせんや。
現代語訳
唐の宣宗以来、人が後継ぎを立てることを口にするのを聞きたがらなかった。万一それを言う者があれば、そのたび歯ぎしりして憎み、謀反と変わらぬ扱いをした。それでいて景仁ひとりが言い出して、十余章に及んでやめなかった。自分の身も一族も、鴻の毛のように軽く見ていた。後の人は景仁が無事だったのを見て、続いてこれを行う者が出た。しかし景仁は測りしれない淵に踏み込んだのである。勇がなくてこれができようか。人の情として、誰が天子を畏れないだろう。執政と親しみ愛することの厚さで、父子に及ぶものがあろうか。執政は天子の父を尊ぼうとし、景仁は古の義を引いてこれと争った。勇がなくてできようか。俸禄と地位は、みな人の貪るところである。あるいは老いて病み、この先望むものがなくなっても、なお未練がましく捨てられないものだ。まして景仁は身がすでに高位に達し、名声もあり、宰相の座を見ればほんの一歩の隔たりもなかった。言葉が行われないという理由で、六十三歳ですぐ衣を払って帰り、生涯二度と立たなかった。勇がない者にできようか。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『慎思録』巻之六左伝に晋の随武子曰く、可を見て進み、難きを知りて退くは、軍の善政なりと。蓋し兵を用ゐるの道は、進退に度有り。度を失へば則ち不可なり。夫れ進むべからずして進み、退くべくして退かざるは、是れ勇者の事、太過と為すべし。我が国俗の貴ぶ所なり。然り而して法の禁ずる所なり。軍に利あらざるに由るなり。進むべくして進まず、退くべからずして退く者は、是れ怯者の事、不及と為すべし。国俗の賤しむ所、是れ亦法の禁ずる所にして、戦ひに利あらず。四者は勇怯同じからずと雖も、然れども兵を用ゐるに害有るは則ち一なり。
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『文武訓』武訓下一左伝に、晋の随武子が曰く、可を見て進む。難を知りて退く。軍の善政なり。凡兵を用ふるに、進も退も度あり。度を失へばやぶる。進むべからずして進み、退くべからずして退くは、度を失ふなり。進むべくして進まず、退くべくして退かず。是亦度をうしなふなり。一敵陣にむかつては、進むべくして進み、退くべくして退く、是和語に、かかるも引くも折によるといふが如し。戦の道、進退によき節あり。勇者は進むべからずして進み、退くべくして退かず。是軍法の禁ずる所なり。大過とす。進むべくして進まず、退くべからずして退くは、是怯者のしわざなり、不及とす。是亦軍法の禁ずる所なり。進むべからずして進み、退くべくして退かず、進むべくして進まず、退くべからずして退く。此四のものは勇怯同じからざれども、ともに軍法に害あり。軍法にしたがひては、勇者もひとり進まず、怯者もひとり退かず。皆力を一にするは、良将の兵なり。一かかるにはさきにすすむを勇とし、引くにはあとにおくるるを勇とす。されども進むに先にあるは猶もやすし。退くにあとにあるは甚かたし。
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『文武訓』武訓下一勇者は外をあらくせず。荀子が、能く定つて後能く応ずといへるが如くなるべし。いふ意は、敵にむかひては、心をしづかに定めてうごかさずして、よく敵に勝つ。外に気をうごかして、かるがるしくさわがしきは、内に敵に応ずべき根なし。人に勝ちがたし。
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『武士訓』卷二・第8段武士は勇をうちにふくみて。外にあらはさゞること本意なり。文武を兼學て後自得すべし。但し武道にのみこゝろを用る者。年齡にて。心術ねれざるうちは。裏に勇をふくめば。かならず表にも見ゆるなり。古語に珠藏而川媚。玉韞而山輝といへるごとし。これを怯弱の者は。うわさものなどと見あやまつたぐひあり。又生得暴惡にして不義の徒もあり。おの〳〵言行をためしみて後さとすべし。今の俗をみるに。和愛ある人は柔弱に。勇敢の人は麁暴なり。こゝをもつて。前にいへるごとく。はじめに書をよませて道をしらしめ。後に武術をならはすべし。かくのごとくまなぶときは。柔弱麁暴二つのゐえ有べからず。
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『童子問』卷下問ふ、王陽明、徐成之に答ふる二書に自ら謂ふ、天下朱を是とし陸を非とすること、論定まること既に久し。一旦之に反するは難しと為す。姑く調停両可の説を為して、人をして自ら思うて之を得しむと。如何。曰く、夫れ勇は断に生じ、断は明に生じ、明は智に生じ、智は学を以て大なり。苟も之を知ること明らかならば、則ち是を是とし非を非とし、一刀両断にして、少しも仮借することを得ず。故に孟子曰く、予豈に弁を好まんや、予已むことを得ざるなりと。陽明の人と為りや、聡明絶倫にして、古今に縦にす。二公と雖も、及ばざること遠く甚だし。然れども学問空疎にして、磨励の功甚だ少なし。而して其の学本禅学に得て、孔孟の宗旨に於ては、実に数塵なり。故に其の書含糊衡決にして、二公の肯綮に中ること多きを得ず。朱門の為に廻護するに似たり。但書中の所謂重脊にして叛孔を厭はずといふ数句は、実に今の学者の真病に中る。
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『武士道』第四章 勇・敢爲堅忍の精神・生くべき時に生き死すべき時に死すされど生くべき時に生き、死すべき時に死するは真の勇なり』と。又た泰西の識者の、肉体の勇と道徳の勇とを区別するが如きは、我国人も亦たつとに之を為す。いやしくも士林に在る者は、小少より既に大勇と匹夫の勇とを弁知せざるものなかりしならん。剛毅、大胆、自若、勇猛の徳性は、青年武士の嚮往する所にして、彼等は実例に則り、実行に由り、世の最も尊尚する此徳を磨厲して、敢て人後に落ちざらんことを努めたり。孩提の児童と雖、なお母の懐に在りて、武功譚、英雄物語に耳を傾け、もし苦痛を哀訴することあらんか、母は『些少の苦痛に泣くは卑怯者』と呵し、継ぐに『戦場に出でて、腕を断たれなば何如。切腹を命ぜられなば何如』等の属語を以てしたり。

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