宋名臣言行録 / 前集巻十・石介
聖徳詩云維仲淹弼一䕫一卨又曰琦器魁礧豈視扂楔可屬大事重厚如勃其後富范為宋名臣而魏公定䇿兩朝措天下於泰山之安人始歎先生之知人
新字:聖徳詩云維仲淹弼一䕫一卨又曰琦器魁礧豈視扂楔可属大事重厚如勃其後富范為宋名臣而魏公定策両朝措天下於泰山之安人始嘆先生之知人
書き下し
聖徳詩に云う、維れ仲淹と弼と、一䕫一卨と。又た曰く、琦の器は魁礧たり、豈に扂楔を視んや。大事を屬す可し、重厚なること勃の如しと。其の後、富・范は宋の名臣と爲り、而して魏公は兩朝に策を定めて、天下を泰山の安きに措く。人始めて先生の人を知るを歎ず。
現代語訳
「聖徳詩」にこうある。「これ范仲淹と富弼は、一人は夔、一人は卨(どちらも舜の名臣)である」。また「韓琦の器は大きく堂々としている、どうして戸締まりの木切れなど眼中にあろうか。大事を託してよい、重厚なことは周勃のようだ」。その後、富弼と范仲淹は宋の名臣となり、韓琦は二代にわたって皇位継承の策を定め、天下を泰山のように安らかなところに置いた。人々はそこで初めて、石介の人を見る目に嘆じた。
解説
前の条で禍のもとになった詩が、人物眼としては当たっていたという条です。名指しで持ち上げた三人が、そのとおりになりました。とくに**韓琦の器は大きく堂々としている。大事を託してよい**は、まだ何も起きていない時点での見立てです。韓琦は後に二代の皇位継承の策を定めます。この本の後集巻一の巻頭が、その韓琦です。同じ詩が、身を滅ぼす種にも、見立ての正しさの証拠にもなりました。
この章句が説くこと
維れ仲淹と弼と一䕫一卨琦の器は魁礧たり大事を属す可し重厚なること勃の如し人始めて先生の人を知るを嘆ず人物眼予見名臣
関連する章句
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『宋名臣言行録』後集巻一・韓琦公の樞副と爲るに及び、石介に慶暦聖德頌有りて曰く、予早く琦を識る。琦に奇骨有り、大事を屬す可し。敦厚なること勃の如しと。後に相と爲る。歐陽永叔の作れる晝錦堂記に曰く、大節に臨み大事に處し、紳を垂れ笏を正し、聲色を動かさずして天下を泰山の安きに措く。社稷の臣と謂う可しと。天下之を傳えて以て知言と爲す。
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『宋名臣言行録』前集巻十・石介慶暦三年、吕夷簡相を罷め、夏竦樞使を罷めて、杜衍・章得象・晏殊・賈昌朝・范仲淹・富弼・韓琦、同時に政を執る。歐陽修・余靖・王素・蔡襄、並びに諫官と爲る。先生喜びて曰く、此れ盛事なり。歌頌は吾が職なり、其れ巳む可けんやと。乃ち慶暦聖徳詩を作る。略に曰く、衆賢の進むこと茅の斯に㧞かるるが如く、大奸の去ること距の斯に脱するが如しと。衆賢は衍等を謂い、大姦は竦を斥すなり。詩且に出でんとし、泰山先生之を見て曰く、子の禍、此に始まらんと。先生自ら安んぜず、出でて濮州に通判たらんことを求む。
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『宋名臣言行録』後集巻一・韓琦石守道、慶暦詩を作る。忠邪太だ明白なり。公、范公と適ま陝西より來朝す。道中に之を得たり。范公股を拊ちて公に謂いて曰く、此の怪鬼の輩の爲に壞了せられんと。公曰く、天下の事は此くの如くなる可からず。此くの如くんば必ず壞れんと。
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『宋名臣言行録』後集巻一・韓琦公の元勲盛德は此くの如きも、人の一小善を聞かば則ち曰く、琦は及ばざるなりと(別錄)。公平日、人才を奬進すること極めて博し。心に許す者に至っては一二人に過ぎず。多く其の人の長を與え人の短を忘れて之を用うるを見て、太だ濫なりと謂う。其の實、胸中は黑白ならざるにあらず。
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『宋名臣言行録』前集巻五・王曽魏公言う、公の徳器は深厚にして寡言なり。當時、其の品題一兩句を得る者有らば、人皆な以て榮と為す。琦、諌官為る時、劄子を納むるに因り、忽ち云う、近日、頻りに章疏を見るに甚だ好し。只だ此くの如くにして可なり。向来、髙若訥の輩の如きは、多く是れ利を擇ぶ。范希文も亦た未だ名に近づくを免れず。要は須らく純ら國事に意あるべきのみと。
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『宋名臣言行録』前集巻七・范仲淹歐・余・王・蔡、諌官と為る。時に之を四諌と謂う。四人、力めて石介を引く。執政、之に從わんと欲す。公、參政と為り、獨り曰く、介は剛正、天下の聞く所なり。然れども亦た異を好む。諌官と為らしめば、必ず行い難きの事を以て人君に責むるに必行を以てす。少しく其の意に拂らば則ち裾を牽き檻を折り、叩頭して血を流し、為さざる所無からん。主上は春秋に富み、失徳無し。朝廷の政事も亦た自ら修舉す。安んぞ此の諌官を用いんやと。諸公、其の言に伏して罷む。