宋名臣言行録 / 前集巻九・王禹偁
嘗云吾若生元和時從事於李絳崔羣間斯無愧矣公卒諫議大夫戚綸誄曰事上不回邪居下不謟佞見善若巳有嫉惡過仇讎世以爲知言
新字:嘗云吾若生元和時従事於李絳崔羣間斯無愧矣公卒諫議大夫戚綸誄曰事上不回邪居下不謟佞見善若巳有嫉悪過仇讎世以為知言
書き下し
嘗て云う、吾れ若し元和の時に生まれ、李絳・崔羣の間に從事せば、斯れ愧じ無からんと。公卒す。諫議大夫戚綸、誄して曰く、上に事えて回邪ならず、下に居りて謟佞ならず。善を見れば己に有るが若く、惡を嫉むこと仇讎に過ぐと。世、以て知言と爲す。
現代語訳
かつて言った。「私がもし元和の時代に生まれて、李絳や崔羣のあいだで仕事をしたなら、恥じることはなかっただろう」。公が亡くなった。諫議大夫の戚綸が誄を作って言った。「上に仕えては曲がらず、下にあってはへつらわない。善を見れば自分のもののように喜び、悪を憎むことは仇敵に対する以上であった」。世の人はそれを的確な言葉だとした。
解説
生きた時代を選べたなら、という嘆きから始まる条です。**元和の時代に生まれて、李絳や崔羣のあいだで仕事をしたなら、恥じることはなかっただろう。**唐の憲宗のもとで諫官が働けた時期です。三度落とされた人の、言葉少なな嘆きになっています。誄の四句が良い。**上に仕えては曲がらず、下にあってはへつらわない。善を見れば自分のもののように喜び、悪を憎むことは仇敵に対する以上であった。**
この章句が説くこと
吾れ若し元和の時に生まれ李絳崔羣の間に従事せば斯れ愧じ無からん上に事えて回邪ならず下に居りて謟佞ならず善を見れば己に有るが若く悪を嫉むこと仇讎に過ぐ時代嘆き人物評
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