宋名臣言行録 / 前集巻七・范仲淹
公與韓琦協謀必欲收復靈夏横山之地邉上謡曰軍中有一韓西賊聞之心骨寒軍中有一范西賊聞之驚破膽元昊大懼遂稱臣
新字:公与韓琦協謀必欲収復霊夏横山之地邉上謡曰軍中有一韓西賊聞之心骨寒軍中有一范西賊聞之驚破胆元昊大懼遂称臣
書き下し
公と韓琦と協謀し、必ず靈夏・横山の地を收復せんと欲す。邉上の謡に曰く、軍中に一韓有り。西賊之を聞きて心骨寒し。軍中に一范有り。西賊之を聞きて驚きて膽を破ると。元昊大いに懼れ、遂に臣と稱す。
現代語訳
公と韓琦は謀りを合わせ、必ず霊夏・横山の地を回復しようとした。国境の歌にこうあった。「軍中に一人の韓がいる。西の賊はそれを聞いて心も骨も寒くなる。軍中に一人の范がいる。西の賊はそれを聞いて驚いて肝を潰す」。趙元昊はひどく恐れ、そこで臣と称した。
解説
五十一字の条です。国境で歌われていた歌が、そのまま記録されています。**軍中に一人の韓がいる。西の賊はそれを聞いて心も骨も寒くなる。軍中に一人の范がいる。西の賊はそれを聞いて驚いて肝を潰す。**前の条では出兵をめぐって対立していた二人が、ここでは並べて歌われている。合わなかった相手と、名前を並べて敵に恐れられている、という並びです。
この章句が説くこと
軍中に一韓有り西賊之を聞きて心骨寒し軍中に一范有り西賊之を聞きて驚きて胆を破る元昊大いに懼れ遂に臣と称す威名協力抑止
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