宋名臣言行録 / 後集巻八・吕公著
安石又與其子雱其徒吕惠卿升卿撰定詩書周禮義模印頒天下凡士子應試者自一語以上非新義不得用於是學者不復思索經意亦不復誦正經惟誦安石惠卿書精熟者輙得上第
新字:安石又与其子雱其徒呂恵卿升卿撰定詩書周礼義模印頒天下凡士子応試者自一語以上非新義不得用於是学者不復思索経意亦不復誦正経惟誦安石恵卿書精熟者輙得上第
書き下し
安石又た其の子雱、其の徒呂惠卿・升卿と詩・書・周禮の義を撰定し、模印して天下に頒つ。凡そ士子の試に應ずる者は一語以上より新義に非ざれば用うるを得ず。是に於いて學者は復た經意を思索せず、亦た復た正經を誦せず。惟だ安石・惠卿の書を誦して精熟なる者のみ輒ち上第を得たり。
現代語訳
王安石はまたその子の雱、その門人の呂恵卿・升卿とともに『詩』『書』『周礼』の義を選び定め、版を刻んで天下に頒布した。およそ士で試験に応じる者は、一語以上について、新義によらなければ用いることができなかった。そこで学ぶ者はもはや経の意味を考えず、また経そのものを誦することもしなくなった。ただ王安石と呂恵卿の書を誦して熟達した者だけが、上位で合格した。
解説
統一そのものは、一見よいことに見えます。基準が明確になり、採点が揃う。何が起きたかが二行で書かれています。学ぶ者はもはや経の意味を考えず、また経そのものを誦することもしなくなった。考えなくなったのが先で、原典を読まなくなったのが後です。ただ王安石と呂恵卿の書を誦して熟達した者だけが、上位で合格した。注釈が原典の場所を占める。しかも書いた本人たちが、採る側でした。
この章句が説くこと
安石又た其の子雱其の徒呂恵卿升卿と詩書周礼の義を撰定し模印して天下に頒つ凡そ士子の試に応ずる者は一語以上より新義に非ざれば用うるを得ず学者は復た経意を思索せず亦た復た正経を誦せず惟だ安石恵卿の書を誦して精熟なる者のみ輒ち上第を得たり統一注釈
関連する章句
-
史記 秦本紀荘襄王の元年、大いに罪人を赦し、先王の功臣を修め、徳を施し骨肉を厚くして恵を民に布く。東周の君諸侯と秦を謀る。秦相国呂不韋をして之を誅せしめ、尽く其の国を入る。秦其の祀を絶たず、陽人の地を以て周の君に賜ひ、其の祭祀を奉ぜしむ。蒙驁をして韓を伐たしむ。韓成皋・鞏を献ず。秦の界大梁に至り、初めて三川郡を置く。二年、蒙驁をして趙を攻めしめ、太原を定む。三年、蒙驁魏の高都・汲を攻め、之を抜く。趙の楡次・新城・狼孟を攻め、三十七城を取る。四月日食す。王齕上党を攻む。初めて太原郡を置く。魏の将無忌五国の兵を率ゐて秦を撃ち、秦河外に却く。蒙驁敗れ、解きて去る。五月丙午、荘襄王卒し、子政立つ。是を秦の始皇帝と為す。秦王政立ちて二十六年、初めて天下を并せて三十六郡と為し、号して始皇帝と為す。始皇帝立ちて十一年にして崩じ、子胡亥立つ。是を二世皇帝と為す。三年、諸侯并び起こりて秦に叛き、趙高二世を殺し、子嬰を立つ。子嬰立ちて月余にして、諸侯之を誅し、遂に秦を滅ぼす。其の語は始皇本紀の中に在り。太史公曰く、秦の先は嬴姓為り。其の後分封せられ、国を以て姓と為す。徐氏・郯氏・莒氏・終黎氏・運奄氏・菟裘氏・将梁氏・黄氏・江氏・修魚氏・白冥氏・蜚廉氏・秦氏有り。然れども秦は其の先の造父の趙城に封ぜらるるを以て、趙氏と為る。
-
『呻吟語』外篇・治道・道德一にして風俗同じ聖主上に在れば、只だ一種の天理・民彝・經常の道を留め得て在り。其の餘の小道・曲說・異端・橫議は斬然として芟除し、餘類を遺さず。天下の人をして耳を易へ目を改め、心を洗ひ慮りを濯ぎ、一切亂政の術に於て、再生の如く、夢覺の如く、未だ嘗て見聞せざるが若くならしむ。然る後に道德一にして風俗同じく、然る後に純王の治と為る。
-
史記 秦始皇本紀始皇終始五徳の伝を推し、以為へらく周は火徳を得たり、秦周の徳に代はる、勝たざる所に従ふと。方今水徳の始めなり。年始を改め、朝賀は皆十月朔よりす。衣服・旄旌・節旗は皆黒を上ぶ。数は六を以て紀と為し、符・法冠は皆六寸、而して輿は六尺、六尺を歩と為し、六馬に乗る。河を更名して徳水と曰ひ、以て水徳の始めと為す。剛毅戾深にして、事は皆法に決し、刻削して仁恩和義毋く、然る後に五徳の数に合ふ。是に於て法を急にし、久しき者も赦さず。丞相綰等言ふ、「諸侯初めて破れ、燕・斉・荊の地遠く、為に王を置かずんば、以て之を填むる毋し。請ふ諸子を立てんことを、唯だ上幸ひに許せ」と。始皇其の議を群臣に下す。群臣皆以て便と為す。廷尉李斯議して曰く、「周の文武の封ずる所の子弟同姓甚だ衆し。然る後に属疏遠となり、相攻撃すること仇讎の如く、諸侯更相誅伐し、周の天子禁止する能はず。今海内陛下の神霊に頼りて一統し、皆郡県と為る。諸子功臣は公の賦税を以て重く之を賞賜せば、甚だ足りて制し易し。天下に異意無きは、則ち安寧の術なり。諸侯を置くは便ならず」と。始皇曰く、「天下共に戦闘の休まざるに苦しむは、侯王有るを以てなり。宗廟に頼り、天下初めて定まる。又復た国を立つるは、是れ兵を樹つるなり。而して其の寧息を求むるは、豈に難からずや。廷尉の議是なり」と。天下を分かちて以て三十六郡と為し、郡に守・尉・監を置く。民を更名して「黔首」と曰ふ。大いに酺す。天下の兵を収め、之を咸陽に聚め、銷して以て鐘鐻・金人十二と為す。重さ各千石、廷宮の中に置く。法度・衡石・丈尺を一にす。車は軌を同じくす。書は文字を同じくす。地は東は海に至りて朝鮮に暨び、西は臨洮・羌中に至り、南は北向戸に至り、北は河に拠りて塞と為し、陰山に并ひて遼東に至る。天下の豪富を咸陽に徙すこと十二万戸。諸廟及び章台・上林は皆渭南に在り。
-
『論語と算盤』実業と士道・文明人の貪戻吾人はすべからく進んで支那の富源を開発し、その産業を進め、その販路を拡めて、通商上の利益を増加するように心掛けねばならぬ。我が国民の今日まで支那に対する商工業経営の態度を見るに、とかく個々別々であって、その間に少しも聯絡がない。ドイツの政治経済機関が統一して密接な関係を保っているのを見るにつけても、我が国民がこの歴史的においても、はたまた人種的においても、幾多の便宜を有する国柄なるにかかわらず、彼らの後えに瞠若たるようではならぬ。そしてこの覚悟は特に我が青年に対して最も望ましき所である。どうか今日の青年諸氏はかかる所に注目して力を入れてもらいたいのである。
-
『新書』鑄錢且つ世民の銭を用うること、県に異なりて郡に同じからず。或いは軽銭を用い、百に加うること若干、軽小異行す。或いは重銭を用い、平称受けず。法銭立たざれば、将に天下をして権族を操らしめんとす、而して吏急にして之を壱にせんとすれば、則ち吏は煩苛にして民は任えず、且つ力能わずして勢い施す可からず。縦にして苛せざれば、則ち郡県異なりて市肆同じからず、小大用を異にし、銭文大いに乱る。夫れ苟くも其の術に非ざれば、則ち何れに嚮うて可ならんや。
-
『墨子』節用中古者、聖王、制して衣服の法を為りて曰く、「冬は紺緅の衣を服て輕くして且つ暖かく、夏は絺綌の衣を服て輕くして且つ凊しければ、則ち諸を止む」と。費を加えて民の利に加えざる者は、聖王、為さず。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る