宋名臣言行録 / 後集巻三・趙槩
㑹郊祀當進階封且任一子京官公乞以封母郡太君宰相謂公曰方為學士擬封不久矣公曰母年八十二朝夕不可期願及今以為榮許之後遂以為例改知審賢院判秘閣與髙若訥同判流内銓若訥言往嘗知貢舉聞母病不得出㡬不能生公矍然即請郡以便親宰相謂旦夕為學士可少待也公不聴遂除蘇州
新字:会郊祀当進階封且任一子京官公乞以封母郡太君宰相謂公曰方為学士擬封不久矣公曰母年八十二朝夕不可期願及今以為栄許之後遂以為例改知審賢院判秘閣与高若訥同判流内銓若訥言往嘗知貢舉聞母病不得出㡬不能生公矍然即請郡以便親宰相謂旦夕為学士可少待也公不聴遂除蘇州
書き下し
會ミ郊祀にして當に階を進め封じ、且つ一子を京官に任ずべし。公乞うて以て母を郡太君に封ず。宰相公に謂いて曰く、方に學士と爲らんとす。封を擬すること久しからずと。公曰く、母は年八十二、朝夕期す可からず。願わくは今に及びて以て榮と爲さんと。之を許す。後遂に以て例と爲す。改めて審賢院を知し秘閣を判す。髙若訥と同じく流内銓を判す。若訥言う、往きて嘗て貢舉を知り、母の病を聞くも出づるを得ず、幾ど生くる能わざりきと。公矍然として即ち郡を請いて以て親に便ならんとす。宰相謂う、旦夕に學士と爲る。少しく待つ可しと。公聽かず。遂に蘇州を除せらる。
現代語訳
ちょうど郊外の祭祀にあたり、位階を進めて封号を与え、そのうえ子の一人を京官に任じることになった。趙槩は願い出て、それによって母を郡太君に封じてもらった。宰相は趙槩に言った。「まもなく学士になるところだ。封号を与えるのは、そう先のことではない」。趙槩は言った。「母は八十二歳です。明日をも期しがたい。どうか今のうちに、それを栄誉としたいのです」。これを許した。後にこれが先例となった。改めて審賢院を主管し秘閣を担当した。高若訥とともに流内銓を担当した。高若訥が言った。「かつて科挙を担当したとき、母の病を聞いても抜け出せず、危うく生きて会えないところであった」。趙槩ははっとして、すぐ地方の郡を願い出て、親のそばに行こうとした。宰相は言った。「明日にも学士になる。少し待てばよい」。趙槩は聞き入れなかった。ついに蘇州に任じられた。
解説
この章句が説くこと
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