宋名臣言行録 / 後集巻十二・劉摯
公在南都幕府㑹司農寺行新令盡斥賣天下祠廟依坊□河渡法收浄利南都閼伯廟嵗為錢四十六貫微子廟十二貫公往見留守張公方平曰獨不能為朝廷言之耶張公矍然
新字:公在南都幕府会司農寺行新令尽斥売天下祠廟依坊□河渡法収浄利南都閼伯廟歳為銭四十六貫微子廟十二貫公往見留守張公方平曰独不能為朝廷言之耶張公矍然
書き下し
公南都の幕府に在り。會ミ司農寺新令を行い、盡く天下の祠廟を斥賣し、坊□河渡の法に依りて淨利を收む。南都の閼伯廟は歲に錢四十六貫と爲し、微子廟は十二貫なり。公往きて留守張公方平に見えて曰く、獨り朝廷の爲に之を言う能わざるか、と。張公矍然たり。
現代語訳
劉摯は南都(応天府)の幕府にいた。ちょうど司農寺が新しい法令を施行し、天下の祠廟をことごとく払い下げ、坊□河渡の法〔一字を欠く〕にならって純益を取り立てていた。南都の閼伯廟は年に銭四十六貫、微子廟は十二貫と値がついた。劉摯は留守の張方平に会いに行って言った。「あなただけでも、朝廷のためにこれを申し上げることができないのですか」。張方平ははっとした。
解説
祠廟に値段がついた、という話です。しかも額が具体的に書かれています。南都の閼伯廟は年に銭四十六貫、微子廟は十二貫と値がついた。建国の由来にかかわる廟が、この程度の実入りのために売りに出されました。劉摯は自分で上奏できる立場になく、その土地の最高責任者のところへ行きます。かけた言葉は一行だけでした。あなただけでも、朝廷のためにこれを申し上げることができないのですか。責めるでもなく、頼むでもない問いです。張方平ははっとした。
この章句が説くこと
司農寺新令を行い尽く天下の祠廟を斥売す南都の閼伯廟は歳に銭四十六貫と為し微子廟は十二貫なり独り朝廷の為に之を言う能わざるか張公矍然たり財政祭祀
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