宋名臣言行録 / 前集巻五・李迪
上將立章獻后迪為翰林學士屢上疏諌以章獻起于寒㣲不可母天下由是章獻深啣之周懐政之誅上怒甚欲責及太子羣臣莫敢言迪為參政俟上怒稍息從容奏曰陛下有幾子乃欲為此計上大寤由是獨誅懐政等而東宫不動摇迪之力也
新字:上将立章献后迪為翰林学士屡上疏諌以章献起于寒微不可母天下由是章献深啣之周懐政之誅上怒甚欲責及太子羣臣莫敢言迪為参政俟上怒稍息従容奏曰陛下有幾子乃欲為此計上大寤由是独誅懐政等而東宮不動摇迪之力也
書き下し
上、將に章獻后を立てんとす。迪、翰林學士為り。屢々疏を上りて諌む。章獻の寒㣲に起こるを以て、天下に母たる可からずと。是に由りて章獻深く之を啣む。周懐政の誅せらるるや、上怒ること甚だし。責、太子に及ばんと欲す。羣臣敢えて言う莫し。迪、參政為り。上の怒りの稍や息むを俟ち、從容として奏して曰く、陛下に幾子有りて、乃ち此の計を為さんと欲するやと。上大いに寤む。是に由りて獨り懐政等を誅して、東宫動摇せず。迪の力なり。
現代語訳
帝が章献皇后を立てようとした。李迪は翰林学士であった。たびたび上疏して諌めた。章献は身分の低い出であるから、天下の母となるべきではない、と。これによって章献は深く恨みを含んだ。周懐政が誅されたとき、帝はひどく怒った。責めを太子にまで及ぼそうとした。群臣は誰もあえて言わなかった。李迪は参知政事であった。帝の怒りが少し収まるのを待って、ゆったりと奏上して言った。「陛下には子が何人おありで、それでこの策をなさろうというのですか」。帝は大いに目が覚めた。これによって周懐政らだけを誅して、東宮は揺るがなかった。李迪の力である。
解説
怒りが太子にまで及びかけた場面です。誰も言えないなか、怒りが少し収まるのを待ってから口を開いています。切り出したのは一問だけでした。陛下には子が何人おありで、それでこの策をなさろうというのですか。理屈も情も並べていません。事実を一つ思い出させただけです。帝は目が覚め、東宮は揺るがなかった。言う中身と同じくらい、いつ言うかを選んだ条です。
この章句が説くこと
陛下に幾子有りて乃ち此の計を為さんと欲するや上の怒りの稍や息むを俟ち従容として奏す是に由りて独り懐政等を誅して東宫動摇せず是に由りて独り懐政等を誅して東宮動摇せず諫言時機
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