宋名臣言行録 / 前集巻二・王旦
太尉局量寛厚未嘗見其怒飲食有不精潔者但不食而已家人欲試其量以少埃墨投羮中公唯啖飯而已家人問其何以不食羮曰我偶不喜肉一日又墨其飯公視之曰吾今日不喜飯可具粥其子弟愬于公曰庖肉為饔人所私食肉不飽乞治之公曰汝輩人料肉幾何曰一斤今但得半斤食其半為饔人所廋食肉不飽公曰盡一斤可得飽乎曰固當飽曰此後人料一斤半可也其不發人過皆類此嘗宅門壊主者徹屋新之暫于廊廡下啟一門出入公至側門門低據鞍俯伏而過都不問門畢復行正門亦不問有控馬卒嵗滿辭公問汝控馬幾時曰五年矣公曰吾不省有汝既去復呼迴曰汝乃某人乎于是厚贈之乃是逐日控馬但見背未嘗視其面因去見其背方省
新字:太尉局量寛厚未嘗見其怒飲食有不精潔者但不食而已家人欲試其量以少埃墨投羹中公唯啖飯而已家人問其何以不食羹曰我偶不喜肉一日又墨其飯公視之曰吾今日不喜飯可具粥其子弟愬于公曰庖肉為饔人所私食肉不飽乞治之公曰汝輩人料肉幾何曰一斤今但得半斤食其半為饔人所廋食肉不飽公曰尽一斤可得飽乎曰固当飽曰此後人料一斤半可也其不発人過皆類此嘗宅門壊主者徹屋新之暫于廊廡下啟一門出入公至側門門低拠鞍俯伏而過都不問門畢復行正門亦不問有控馬卒歳満辞公問汝控馬幾時曰五年矣公曰吾不省有汝既去復呼迴曰汝乃某人乎于是厚贈之乃是逐日控馬但見背未嘗視其面因去見其背方省
書き下し
太尉の局量は寛厚なり。未だ嘗て其の怒るを見ず。飲食に精潔ならざる者有るも、但だ食わざるのみ。家人其の量を試みんと欲し、少しく埃墨を以て羮中に投ず。公唯だ飯を啖うのみ。家人其の何を以て羮を食わざるかを問う。曰く、我れ偶ま肉を喜ばずと。一日、又た其の飯を墨す。公之を視て曰く、吾れ今日は飯を喜ばず。粥を具う可しと。其の子弟、公に愬えて曰く、庖肉、饔人の私する所と為り、肉を食らいて飽かず。乞う、之を治めよと。公曰く、汝輩、人ごとの料肉は幾何ぞと。曰く、一斤なり。今、但だ半斤を得て食らう。其の半は饔人の廋する所と為る。肉を食らいて飽かずと。公曰く、一斤を盡くさば飽くを得可きかと。曰く、固より當に飽くべしと。曰く、此の後、人ごとに一斤半を料して可なりと。其の人の過ちを發かざること、皆な此に類す。嘗て宅門壊る。主る者、屋を徹して之を新たにす。暫く廊廡の下に于いて一門を啟きて出入す。公、側門に至る。門低し。鞍に據りて俯伏して過ぐ。都て門を問わず。畢りて復た正門を行くも亦た問わず。控馬の卒有り。歳滿ちて辭す。公問う、汝、馬を控すること幾時ぞと。曰く、五年なりと。公曰く、吾れ汝有るを省せずと。既に去りて復た呼び迴して曰く、汝は乃ち某人なるかと。是に於て厚く之に贈る。乃ち是れ逐日に馬を控するも、但だ背を見るのみにして未だ嘗て其の面を視ざればなり。去るに因りて其の背を見て方に省る。
現代語訳
太尉の度量は広く厚かった。怒ったところを見た者がなかった。食事に清潔でないものがあっても、ただ食べないだけであった。家の者がその度量を試そうとして、少し煤を汁に入れた。公は飯だけを食べた。家の者が、どうして汁を召し上がらないのかと尋ねた。「私はたまたま肉が食べたくないのだ」と言った。ある日、今度は飯を墨で汚した。公はそれを見て言った。「私は今日は飯が食べたくない。粥を用意してくれ」。子弟が公に訴えた。「厨房の肉が料理人に私されていて、肉を食べても足りません。どうか処置してください」。公は言った。「おまえたち、一人当たりの肉の割り当てはどれほどか」。「一斤です。いまは半斤だけ食べています。その半分は料理人に隠されていて、肉を食べても足りません」。公は言った。「一斤を全部食べれば足りるのか」。「もちろん足ります」。「では今後、一人当たり一斤半を割り当てればよい」。人の過ちを暴かないことは、みなこの類であった。かつて屋敷の門が壊れた。担当の者が建物を取り払って新しくした。しばらく廊下の下に仮の門を開けて出入りした。公は横の門に来た。門が低い。鞍に身を伏せて通った。まったく門のことを尋ねなかった。工事が終わって元の正門を通るようになっても、やはり尋ねなかった。馬の口取りの兵がいた。年季が満ちて暇乞いをした。公は尋ねた。「おまえは馬を引いてどれくらいになる」。「五年になります」。公は言った。「私はおまえがいたことに気づかなかった」。去ったあとで呼び戻して言った。「おまえは某という者か」。そこで手厚く贈り物をした。じつは毎日馬を引いていたが、背中しか見ておらず、顔を見たことがなかった。去るときにその背中を見て、はじめて気づいたのである。
解説
この章句が説くこと
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説苑・尊賢斉の桓公庭燎を設け、士の造り見えんと欲する者の為にす。期年にして士至らず。是に於いて東野の鄙人に九九の術を以て見えんとする者有り。桓公曰く、「九九何ぞ以て見ゆるに足らんや」と。鄙人対えて曰く、「臣九九を以て見ゆるに足れりと為すに非ず、臣聞く、主君庭燎を設けて以て士を待つも、期年にして士至らずと。夫れ士の至らざる所以の者は、君は天下の賢君なり、四方の士、皆自ら論ずるに君に及ばずと以て、故に至らざるなり。夫れ九九は薄能のみなるに、而れども君猶お之を礼す、況んや九九より賢れる者をや。夫れ太山は壌石を辞せず、江海は小流を逆えず、大を成す所以なり」と。詩に云う、「先民言える有り、芻蕘に詢う」と。博く謀ることを言うなり。桓公善しと曰いて、乃ち因りて之を礼す。期月にして四方の士、相携えて並び至る。詩に曰く、「堂より基に徂き、羊より牛に徂く」と。内を以て外に及び、小を以て大に及ぶことを言うなり。
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説苑・復恩楚の荘王群臣に酒を賜ふ、日暮れて酒酣にして、燈燭滅す、乃ち人の美人の衣を引く者有り、美人其の冠纓を援絶して、王に告げて曰く、「今者燭滅え、妾の衣を引く者有り、妾其の冠纓を援け得て之を持てり、趣かに火を来して上げしめ、纓を絶ちし者を視られよ」と。王曰く、「人に酒を賜ひ、酔ひて礼を失はしめしに、奈何ぞ婦人の節を顕して士を辱めんと欲せんや」と。乃ち左右に命じて曰く、「今日寡人と飲みて、冠纓を絶たざる者は懽ならず」と。群臣百有余人皆其の冠纓を絶ち去りて火を上ぐ、卒に尽く懽びて罷む。居ること三年、晋楚と戦ふ、一臣常に前に在り、五合五たび奮ひ、首として敵を卻く、卒に之に勝つを得たり、荘王怪しみて問ひて曰く、「寡人徳薄く、又未だ嘗て子を異にせざるに、子何の故に死に出でて疑はざること是の如きか」と。対へて曰く、「臣当に死すべかりき、往者酔ひて礼を失ひしとき、王隠忍して誅を加へざりき、臣終に敢へて蔭蔽の徳を以て王に顕報せざらんや、常に肝脳を地に塗り、頸血を用ひて敵に湔がんことを願ふこと久し、臣乃ち夜纓を絶ちし者なり」と。遂に晋軍を敗り、楚以て強きを得たり、此れ陰徳有る者は必ず陽報有るなり。
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尚書・秦誓如し一介の臣有りて、斷斷猗として他の技無く、其の心休休焉として、其れ容るる有るが如くんば。
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人物志・材能寛弘の人は、宜しく郡国を為すべし。下をして其の功を施すを得しめて、其の事を総成す。急小の人は、宜しく百里を理むべし。事を己に辦ぜしむ。
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牧民忠告・事長夫れ天下を能くする者は、其の志必ず高く、其の至る所必ず遠し。昔某郡に新守有り、褊驁(へんごう)にして大いに其の下を礼せず、常に掾属(えんぞく)をして庭下に羅拝(らはい)せしむ。一賢掾有り、初め疾を以て告に在り、疾愈(い)えて当に庭参すべし。是の日偶(たま)たま大雨あり、守は傘を張り茅(かや)を庭下に布(し)かしめ、掾をして拝せしむ、掾恬然(てんぜん)として容(かたち)を動かさず、興伏(こうふく)惟(こ)れ謹めり。識者其の他日必ず宰相と為るを知るなり、後果たして然り。
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説苑・尊賢晋の文侯、地を行きて隧に登るに、大夫皆之を扶く。隨会扶けず。文侯曰く、「会よ、夫れ人臣為りて其の君を忍ぶ者は、其の罪奚如ん」と。対えて曰く、「其の罪重死なり」と。文侯曰く、「何をか重死と謂う」と。対えて曰く、「身死し、妻子戮せらる」と。隨会曰く、「君奚ぞ独り人臣為りて其の君を忍ぶ者を問いて、人君為りて其の臣を忍ぶ者を問わざるや」と。文侯曰く、「人君為りて其の臣を忍ぶ者は、其の罪何如ん」と。隨会対えて曰く、「人君為りて其の臣を忍ぶ者は、智士謀を為さず、弁士言を為さず、仁士行を為さず、勇士死を為さず」と。文侯綏を援きて車を下り、大夫に辞して曰く、「寡人に腰髀の病有り、願わくは諸大夫罪する勿かれ」と。