宋名臣言行録 / 後集巻十三・范祖禹
公在書局分職唐史考其成敗治亂得失之迹撮其機要論次成書名曰唐鑑元祐元年上奏進其書
新字:公在書局分職唐史考其成敗治乱得失之迹撮其機要論次成書名曰唐鑑元祐元年上奏進其書
書き下し
公書局に在りて唐史を分職す。其の成敗治亂得失の迹を考え、其の機要を撮り、論次して書を成す。名づけて唐鑑と曰う。元祐元年、上奏して其の書を進む。
現代語訳
范祖禹は編纂局にあって、唐代の歴史を分担した。その成功と失敗、治まりと乱れ、得と失の跡を調べ、その要となるところをつまみ出し、順序立てて論じて一書にまとめた。名づけて『唐鑑』という。元祐元年、上奏してその書を進上した。
解説
三十九字で、一冊の作り方が示されています。まず調べる対象を四つに絞りました。**その成功と失敗、治まりと乱れ、得と失の跡を調べ。**出来事を全部並べるのではありません。次にすることが要です。**その要となるところをつまみ出し、順序立てて論じて。**集めたものから、外してよいものを外す。残ったものに順を付ける。分担した資料の山が、そこではじめて一冊になりました。書名の「鑑」は、鏡です。
この章句が説くこと
公書局に在りて唐史を分職す其の成敗治乱得失の迹を考う其の機要を撮り論次して書を成す名づけて唐鑑と曰う編纂要点
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