宋名臣言行録 / 前集巻四・冦凖
公年十九舉進士時太宗取人多問其年年少者往往罷遣或教公増其年公曰吾初進取可欺君耶
書き下し
公、年十九にして進士に舉げらる。時に太宗、人を取るに多く其の年を問う。年少き者は往往にして罷め遣わす。或るひと公に其の年を増すを教う。公曰く、吾れ初めて進取す。君を欺く可けんやと。
現代語訳
公は十九歳で進士に挙げられた。当時、太宗は人を採るのに、たいてい年齢を尋ねた。年の若い者はしばしば落として帰した。ある人が、年齢を多めに言うよう公に勧めた。公は言った。「私はこれから世に出ようとしている。それで君主を欺いてよいものか」。
解説
落とされると分かっていて、年齢を偽らなかった条です。**私はこれから世に出ようとしている、それで君主を欺いてよいものか。**損得の話ではありません。始まりのところで嘘をつけば、その先ずっとその上に立つことになる、という順序の話です。四十字足らずの一条ですが、この後の生涯を通した直言の出発点として置かれています。
この章句が説くこと
吾れ初めて進取す君を欺く可けんや時に太宗人を取るに多く其の年を問う年少き者は往往にして罷め遣わす或るひと公に其の年を増すを教う正直出発損得
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