宋名臣言行録 / 後集巻一・韓琦
以右司諌供職勸上明得失正朝廷紀綱親近忠直放逺邪佞時災異數見公以災變屢發主於執政者非才累言於上未見納公又奏曰豈陛下擇輔弼未得其人耶若杜衍范仲淹孔道輔宋郊胥偃衆以為忠正之臣可備進擢不然嘗所用者王曾吕夷簡蔡齊宋綬亦人所屬望也章十上不報公抗䟽乞出上乃罷宰臣王隨陳堯佐叅政韓億石中立等
新字:以右司諌供職勧上明得失正朝廷紀綱親近忠直放遠邪佞時災異数見公以災変屡発主於執政者非才累言於上未見納公又奏曰豈陛下択輔弼未得其人耶若杜衍范仲淹孔道輔宋郊胥偃衆以為忠正之臣可備進擢不然嘗所用者王曽呂夷簡蔡斉宋綬亦人所属望也章十上不報公抗䟽乞出上乃罷宰臣王随陳堯佐参政韓億石中立等
書き下し
右司諫を以て職に供す。上に得失を明らかにし、朝廷の紀綱を正し、忠直に親近して邪佞を放逺せんことを勸む。時に災異數ミ見る。公、災變の屢ミ發するは執政者の才に非ざるに主ると以て、累りに上に言うも未だ納れらるるを見ず。公又た奏して曰く、豈に陛下輔弼を擇びて未だ其の人を得ざるかと。杜衍・范仲淹・孔道輔・宋郊・胥偃の若きは、衆以て忠正の臣と爲す、進擢に備う可し。然らずんば、嘗て用いる所の者、王曾・吕夷簡・蔡齊・宋綬も亦た人の屬望する所なりと。章十たび上るも報ぜられず。公䟽を抗げて出でんことを乞う。上乃ち宰臣王隨・陳堯佐、參政韓億・石中立等を罷む。
現代語訳
右司諫として職に就いた。天子に、得失を明らかにし、朝廷の綱紀を正し、忠直の人を近づけ、邪でへつらう者を遠ざけるよう勧めた。当時、災害や異変がたびたび現れた。韓琦は、災変がしきりに起こるのは執政の任にある者が才を欠いているからだと考え、重ねて天子に言ったが、聞き入れられなかった。そこでまた奏上した。「陛下は輔佐を選ぶのに、まだその人を得ておられないのではありませんか。杜衍・范仲淹・孔道輔・宋郊・胥偃といった人々は、みなが忠正の臣と認めており、抜擢の候補に備えられます。そうでなければ、かつて用いられた王曾・呂夷簡・蔡斉・宋綬も、人々が期待を寄せる人々です」。上奏文を十度上げたが返事がなかった。韓琦は上疏して、自分を外へ出すよう願い出た。天子はそこで宰相の王随・陳堯佐、参政の韓億・石中立らを罷免した。
解説
この章句が説くこと
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『不動智神妙録』諫言 其二 好む所の病然れば幾千人ありとても、自然の時、主人の用に立つ物は一人も不可有之、彼の一旦気に入りたる無智若輩の悪人は、元より心正しからざる者故、事に臨んて一命を捨てんと思ふ事、努々不可有、心正しからさるものゝ主の用に立ちたる事は、往昔より不承及ところなり、貴殿の弟子を御取立て被成にも、箇様の事有之由、苦々敷存候、是れ皆一片の数奇好む所より其病にひかれ、悪に落入るを知らざるなり、人は知らぬと思へども微より明かなるなしとて、我心に知れは、天地鬼神万民も知るなり、如是して国を保つ、誠に危き事にあらずや、然らば大不忠なりとこそ存候へ、
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史記 季布欒布列伝季布河東の守と為る、孝文の時、人其の賢を言ふ者有り、孝文召し、以て御史大夫と為さんと欲す。復た其の勇にして、酒を使ひて近づき難きを言ふ有り。至り、邸に留まること一月、見えて罷めらる。季布因りて進みて曰く「臣功無くして竊かに寵せられ、罪を河東に待つ。陛下故無くして臣を召す、此れ人必ず臣を以て陛下を欺く者有らん。今臣至るに、事を受くる所無くして、罷め去らしむ、此れ人必ず以て臣を毀る者有らん。夫れ陛下一人の誉を以て臣を召し、一人の毀を以て臣を去らしむ、臣恐らくは天下の識有る者之を聞き以て陛下を闚ふ有らん」と。上黙然として慚ぢ、良久しくして曰く「河東は吾が股肱の郡なり、故に特に君を召せしのみ」と。布辞して官に之く。
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『不動智神妙録』諫言 其二 好む所の病悪と知り止めざるは我好む所の痛みあるゆゑなり、或は色を好むか、奢気随にするか、いかさま心に好む所の働きある故に善人ありとも我気に合はされは善事を用ひず、無智なれども一旦我気に合へば登し用ひ好むゆゑに善人はありても用ゐざれば無きが如し、
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『晏子春秋』諫下・景公春夏遊獵興役晏子諫景公、春夏に遊猟し、又大台の役を起こす。晏子諫めて曰く、「春秋に役を起こし、且つ遊猟するは、民の農時を奪い、国家空虚なり、不可なり」と。景公曰く、「吾聞く、賢を相とすれば国治まり、臣忠なれば主逸すと。吾が年幾ばくも無し、吾が楽しむ所を遂げ、吾が好む所を卒えんと欲す、子其れ息めよ」と。晏子曰く、「昔文王敢えて田に盤游せず、故に国昌えて民安し。楚の霊王は乾溪の役を廃せず、章華の台を起こして、而して民之に叛く。今君革めざれば、将に社稷を危うくして、諸侯の笑いと為らんとす。臣聞く、忠は死を避けず、諫は罪を違けず。君臣を聴かざれば、臣将に逝かんとす」と。景公曰く、「唯唯、将に之を弛罷せんとす」と。未だ幾ばくならずして、朝韋冏役を解きて帰る。
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『春秋左氏伝』哀公十一年 轅頗の大器夏、陳の轅頗出でて鄭に奔る。初め轅頗司徒と為り、封田に賦して、以て公女を嫁がしむ。餘り有り、以て己の大器を為る。國人之を逐ふ。故に出づ。道に渴す。其の族轅咺、稻醴・粱糗・腶脯を進む。喜びて曰く、「何ぞ其れ給(そな)はれる」と。對へて曰く、「器成りて具ふ」と。曰く、「何ぞ吾を諫めざる」と。對へて曰く、「先に行かるるを懼る」と。郊の戰の為の故に、公吳子に會して齊を伐つ。五月、博に克つ。壬申、嬴に至る。中軍は王に從ひ、胥門巢上軍に將たり、王子姑曹下軍に將たり、展如右軍に將たり。齊の國書中軍に將たり、高無丕上軍に將たり、宗樓下軍に將たり。陳僖子其の弟書に謂ふ、「爾死せば、我必ず志を得ん」と。宗子陽と閭丘明と相厲ます。桑掩胥國子に御たり。公孫夏曰く、「二子必ず死せん」と。將に戰はんとす。公孫夏其の徒に命じて虞殯を歌はしむ。陳子行其の徒に命じて含玉を具へしむ。公孫揮其の徒に命じて曰く、「人ごとに尋約せよ。
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『春秋左氏伝』文公十八年 四凶を去る昔帝鴻氏に不才の子有り、義を掩ひ賊を隱し、好んで凶德を行ひ、醜類惡物、頑嚚(ぐわんぎん)にして友ならず、是れと比周す。天下の民、之を渾敦(こんとん)と謂ふ。少皞氏に不才の子有り、信を毀ち忠を廢し、惡言を崇飾し、譖(しん)を靖(やす)んじ回(くわい)を庸(もち)ゐ、讒を服し慝(とく)を蒐(かく)し、以って盛德を誣(し)ふ。天下の民、之を窮奇と謂ふ。顓頊に不才の子有り、教訓す可からず、話言を知らず、之に告ぐれば則ち頑、之を舍(お)けば則ち嚚、明德に傲很(がうこん)し、以って天常を亂る。天下の民、之を檮杌(たうごつ)と謂ふ。此れ三族なり。世々其の凶を濟し、其の惡名を增し、以って堯に至る。堯去ること能はず。縉雲氏に不才の子有り、飲食に貪り、貨賄に冒(ばう)し、侵欲崇侈、盈厭す可からず。聚斂積實して、紀極を知らず、孤寡に分かたず、窮匱を恤(あはれ)まず。天下の民、以って三凶に比し、之を饕餮(たうてつ)と謂ふ。舜堯に臣たりて、四門に賓し、四凶族の渾敦・窮奇・檮杌・饕餮を流し、諸を四裔に投じ、以って螭魅(ちみ)を禦がしむ。是を以って堯崩じて天下一の如く、心を同じくして舜を戴き、以って天子と為す。其の十六相を舉げ、四凶を去るを以ってなり。故に虞書に舜の功を數へて曰く、「慎みて五典を徽(よ)くす、五典克く從ふ」と、教へに違ふ無きなり。曰く、「百揆に納る、百揆時に序す」と、事を廢する無きなり。曰く、「四門に賓す、四門穆穆たり」と、凶人無きなり。舜大功二十有りて天子と為る。今行父未だ一吉人を獲ずと雖も、一凶を去れり。舜の功に於いて、二十の一なり。庶幾(こひねが)はくは戾(つみ)を免れんか。

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