宋名臣言行録 / 後集巻一・韓琦
公雖在外然其心常係社稷至身老而心益篤雖病不忘國家或有時聞更祖宗一法度壞朝廷一紀綱則泣血終日不食
新字:公雖在外然其心常係社稷至身老而心益篤雖病不忘国家或有時聞更祖宗一法度壊朝廷一紀綱則泣血終日不食
書き下し
公外に在りと雖も、然れども其の心常に社稷に係る。身老いて心益ミ篤きに至る。病むと雖も國家を忘れず。或いは時に祖宗の一法度を更め、朝廷の一紀綱を壞るを聞かば、則ち血を泣きて終日食わず。
現代語訳
韓琦は外の任にあったけれども、その心は常に国家に懸かっていた。身は老いて、心はいよいよ篤くなるに至った。病んでも国家を忘れなかった。あるとき、祖宗の定めた法度が一つ改められ、朝廷の綱紀が一つ壊れたと聞けば、血の涙を流して一日中食べなかった。
解説
四十七字の短い条ですが、老いた人の憂え方が具体的に書かれています。抽象的な憂国ではありません。**祖宗の定めた法度が一つ改められ、朝廷の綱紀が一つ壊れたと聞けば。**一つ、です。全体が傾いたと聞いてではなく、一件ごとに反応している。そしてその反応が体に出ます。**血の涙を流して一日中食べなかった。**外の任にあって、もう止める権限はありません。止められない場所から、一件ずつ数えて痛んでいる。前条の「晩節を保つは難し」の、実際の中身がこれでした。
この章句が説くこと
公外に在りと雖も然れども其の心常に社稷に係る身老いて心益ミ篤きに至る祖宗の一法度を更め朝廷の一紀綱を壊るを聞かば則ち血を泣きて終日食わず憂国老い
関連する章句
-
葉隠・聞書第一忠臣は孝子の門に尋ねよとあり。随分(ずいぶん)心を尽くして孝行すべき事なり。奉公に精を出す人は自然にはあれども、孝行に精出す人は稀なり。よき者には他人も懇(ねんご)ろに、亡き後にて残り多く、孝行に精出す人は稀なり。無理なる人、無理なる親にてなくば知れまじきなり。
-
『韓非子』初見秦第一然り而して兵甲頓れ、士民病み、蓄積索き、田疇荒れ、囷倉虚しく、四隣の諸侯服せず、霸王の名成らず。此れ異なる故無し、其の謀臣皆な其の忠を尽くさざればなり。
-
葉隠・聞書第一主君さえ大切に仕り候えば、親も悦び、仏神も納受(のうじゅ)あるべしと存じ候。此方(こなた)は主を思うより外のこと知らず、志(こころざし)つのり候えば、不断(ふだん)御身辺(ごしんぺん)に気を附け、片時も離れ申さず候。又、女は第一に夫を主君の如く存ずべき事である。
-
論語・公冶長篇子張問いて曰く、「令尹子文、三たび仕えて令尹と為るも、喜ぶ色無し。三たび之を已めらるるも、慍る色無し。旧令尹の政、必ず以て新令尹に告ぐ。何如。」子曰く、「忠なり。」曰く、「仁なりや。」曰く、「未だ知らず、焉んぞ仁なるを得ん。」「崔子斉君を弑す。陳文子馬十乗有り、棄てて之を違る。他邦に至れば、則ち曰く、『猶お吾が大夫崔子のごときなり』と。之を違る。一邦に之けば、則ち又曰く、『猶お吾が大夫崔子のごときなり』と。之を違る。何如。」子曰く、「清なり。」曰く、「仁なりや。」曰く、「未だ知らず、焉んぞ仁なるを得ん。」
-
論語・学而篇曾子曰く、「吾日に三たび吾が身を省みる。人の為に謀りて忠ならざるか、朋友と交わりて信ならざるか、習わざるを伝えしか。」
-
論語・八佾篇定公問う、「君臣を使い、臣君に事うるは、之を如何。」孔子対えて曰く、「君は臣を使うに礼を以てし、臣は君に事うるに忠を以てす。」