宋名臣言行録 / 前集巻四・冦凖
處士魏野贈公詩曰有官居鼎鼐無宅起樓臺及上即位北使至賜宴兩府預坐北使厯視坐中問譯者曰誰是無宅起樓臺相公坐中無答丁謂令譯者謂曰朝廷初即位南方須大臣鎮撫冦公暫撫南夏非乆即還
新字:処士魏野贈公詩曰有官居鼎鼐無宅起楼台及上即位北使至賜宴両府預坐北使厯視坐中問訳者曰誰是無宅起楼台相公坐中無答丁謂令訳者謂曰朝廷初即位南方須大臣鎮撫寇公暫撫南夏非乆即還
書き下し
處士魏野、公に贈る詩に曰く、官有りて鼎鼐に居るも、宅の樓臺を起こす無しと。上の即位に及び、北使至る。宴を賜い、兩府預り坐す。北使、坐中を厯視し、譯者に問いて曰く、誰か是れ無宅起樓臺の相公ぞと。坐中答うる無し。丁謂、譯者をして謂わしめて曰く、朝廷初めて即位す。南方に大臣の鎮撫を須つ。冦公暫く南夏を撫す。乆しからずして即ち還らんと。
現代語訳
処士の魏野が公に贈った詩に、「官にあっては鼎鼐の位に居るが、屋敷は楼台を建てることもない」という句があった。仁宗が即位したとき、契丹の使者が来た。宴を賜り、二府の者が列席した。契丹の使者は席の一同を見渡して、通訳に尋ねた。「どちらが『屋敷に楼台を建てない』相公ですか」。席の中で答える者がなかった。丁謂は通訳に言わせた。「朝廷は即位したばかりです。南方に大臣の鎮撫が必要なのです。寇公はしばらく南方を治めております。ほどなく帰ってきます」。
解説
敵国の使者が、詩の一句で人を探した条です。**どちらが「屋敷に楼台を建てない」相公ですか。**その人は、聞かれた本人たちが流した先にいました。**席の中で答える者がなかった**という一行が効いています。丁謂の取り繕いも見事なものでした。南方に鎮撫が必要でしばらく治めている、ほどなく帰る、と。清廉の評判が国境を越えていたことも、同時に分かる条です。
この章句が説くこと
官有りて鼎鼐に居るも宅の楼台を起こす無し誰か是れ無宅起楼台の相公ぞ坐中答うる無し寇公暫く南夏を撫す乆しからずして即ち還らん評判清廉体面
関連する章句
-
『宋名臣言行録』前集巻四・冦凖公、大名府に鎮す。北使、道に之に由る。公に謂いて曰く、相公の望重し。何を以て中書に在らざるやと。公曰く、皇上、朝廷無事なるを以てす。北門の鏁鑰、凖に非ざれば不可なりと。
-
『宋名臣言行録』前集巻四・冦凖公、士を好み善を樂しみて倦まず。丁謂・种放の徒、皆な其の門に出づ。嘗て親しむ所に語りて曰く、丁生は誠に竒材なり。惟だ重任に堪えずと。公、相と為り、謂、參政たり。嘗て都堂に㑹食す。羮、公の鬚を染む。謂、起ちて之を拂う。公、色を正して曰く、身は執政と為りて、親ら宰相の為に鬚を拂うかと。謂、慙じて勝えず。公、正直を恃みて巧佞を虞らず。故に卒に陷る所と為る。
-
『宋名臣言行録』前集巻四・冦凖公、樞使と為り、利用副たり。公、其の武人なるを以て之を輕んず。事を議して合わざる者有れば、輙ち曰く、君は一夫のみ。豈に此の國家の大體を解せんやと。利用、是に由りて之を銜む。真宗將に劉氏を立てんとす。公及び王旦・向敏中、皆な諌議して、出づること側㣲に于いてすれば不可と為す。劉氏の宗人、蜀に横にして民の鹽井を奪う。上、后の故を以て之を捨てんと欲す。公固く法を行わんことを請う。時に上已に豫まず、記覽する能わず。政事、多く宫中の決する所なり。丁、曹・冦の平らかならざるを知り、遂に利用と合謀して公の政事を罷めんことを請い、太子太傅に除す。上、初め知らず。歳餘、忽ち左右に問う、吾が目中に乆しく冦凖を見ざるは何ぞやと。左右も亦た敢えて言わず。上崩じ、太后稱制す。公、再び雷州に貶せらる。
-
『宋名臣言行録』前集巻四・冦凖公、雷州に貶せらるる時、丁謂と馮拯と中書に在り。丁、當に筆を秉るべし。初め崖州に貶せんと欲す。而して丁忽ち自ら疑い、馮に語りて曰く、崖州は再び鯨波を涉る。如何と。馮、唯唯たるのみ。丁乃ち徐ろに雷州に擬す。丁の貶せらるるや、馮遂に崖州に擬す。當時の好事者、相い語りて曰く、若し雷州の冦司戸に遇わば、人生何れの處にか相い逢わざらんと。丁の南するに比び、冦復た道州に移る。冦、丁の當に来たるべきを聞き、人を遣わして蒸羊を以て境上に逆え、而して其の僮僕を收め、門を杜ざして放ち出ださず。聞く者多く以て體を得たりと為す。
-
『宋名臣言行録』前集巻二・王旦冦凖、樞使と為り、當に罷むべし。人をして私かに公に使相と為らんことを求めしむ。公大いに驚きて曰く、將相の任、豈に求む可けんや。且つ吾れ私を受けずと。凖深く之を恨む。已にして制出でて凖を武勝軍節度使・同中書門下平章事に除す。凖入見して泣涕して曰く、陛下、臣を知るに非ずんば、何を以て此に至らんと。真宗具さに公の凖を薦むる所以を道う。凖始めて愧嘆して以て及ぶ可からずと為す。
-
『宋名臣言行録』前集巻十・魏野處士魏野、字は仲先。東郊に居る。草堂を架す。水竹の勝有り。琴を彈じ詩を作るを好む。清苦にして時に聞こゆること多し。上、汾隂を祀る。之を召す。疾を辭して至らず。詩を以て王文正公に贄して曰く、從前の輔相は皆な頻りに出づ。獨り中書に在ること十五秋。泰嶽・汾隂、俱に禮畢わる。這迴、好し赤松に伴いて遊べと。公、之を覽て喜び、色に形る。酒茗・藥物を以て荅と爲す。旦、詩を得て感悟し、疾を以て屢々政柄を辭す。遂に太尉・玉清昭應宫使を拜す。野、冦準に謂いて曰く、古より功名蓋世にして全きこと有るは少なしと。因りて詩を與えて曰く、好し去りて天に上りて將相を辭し、歸り來りて平地に神仙と作れと。貶せらるるに及び、始めて野の言を用いざるを悔ゆ。野の子閑も亦た仕えず。嘉祐中、清逸處士の號を賜う。