宋名臣言行録 / 後集巻四・劉敞
宦者石全彬以勞遷宫苑使領觀察使意不滿退而愠有言居三日正除觀察使公封還詞頭不草制其命遂止
新字:宦者石全彬以労遷宫苑使領観察使意不満退而愠有言居三日正除観察使公封還詞頭不草制其命遂止
書き下し
宦者石全彬、勞を以て宮苑使に遷り觀察使を領す。意滿たず、退きて愠りて言うこと有り。居ること三日、正に觀察使を除す。公詞頭を封じ還して制を草せず。其の命遂に止む。
現代語訳
宦官の石全彬は、功労によって宮苑使に移り、観察使を兼ねた。それでは満足せず、退がってから憤って口にすることがあった。三日たって、正式に観察使に任じられた。劉敞は詔書の草案の指示書きを突き返して、詔を起草しなかった。その任命はついに取りやめになった。
解説
四十三字です。日数が書いてあるところが効いています。**それでは満足せず、退がってから憤って口にすることがあった。三日たって、正式に観察使に任じられた。**不満を漏らしてから三日。因果は誰の目にも明らかです。この任命が通れば、次からは誰もが同じことをします。処遇に不満を言えば上がる、という前例になる。止め方は、この時代に繰り返し出てくる手でした。**詔書の草案の指示書きを突き返して、詔を起草しなかった。**
この章句が説くこと
宦者石全彬労を以て宮苑使に遷り観察使を領す意満たず退きて愠りて言うこと有り居ること三日正に観察使を除す公詞頭を封じ還して制を草せず其の命遂に止む不満昇進
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