宋名臣言行録 / 後集巻八・吕公著
温公亦以為詩賦不可復然論者習見經義之弊忿懣不可遏乃定制進士初場試經義次賦詩論䇿對經義者許引用古今諸儒之說及已見又詔立春秋科太學置春秋博士二貟禁有司不得於莊老書出題程文不得雜用申韓刑名之學及釋氏書仍罷試律義
新字:温公亦以為詩賦不可復然論者習見経義之弊忿懣不可遏乃定制進士初場試経義次賦詩論策対経義者許引用古今諸儒之説及已見又詔立春秋科太学置春秋博士二貟禁有司不得於荘老書出題程文不得雑用申韓刑名之学及釈氏書仍罷試律義
書き下し
温公も亦た詩賦は復す可からずと爲す。然れども論者は經義の弊を習見し忿懣遏む可からず。乃ち制を定めて進士の初場は經義を試し、次に賦・詩・論・策とす。經義に對うる者は古今諸儒の説及び己が見を引用するを許す。又た詔して春秋科を立て、太學に春秋博士二員を置く。有司の莊老の書に於いて題を出すを禁じ、程文に申韓刑名の學及び釋氏の書を雜用するを得ざらしむ。仍お律義を試すを罷む。
現代語訳
司馬光もまた詩賦は復活させるべきでないとした。しかし論じる者は経義の弊害を見慣れていて、憤りを抑えられなかった。そこで制度を定めて、進士の初場は経義を試し、次に賦・詩・論・策とした。経義に答える者は、古今の諸儒の説および自分の見解を引用することを許した。また詔して春秋科を立て、太学に春秋博士二人を置いた。担当の役所が荘子・老子の書から題を出すことを禁じ、答案に申不害・韓非の刑名の学および仏書を混ぜて用いることができないようにした。あわせて律義を試すことをやめた。
解説
落としどころが、二者択一になっていません。詩賦も経義も残し、順序を決めました。そして直したのは、一行です。経義に答える者は、古今の諸儒の説および自分の見解を引用することを許した。新義以外は一語も使えなかったところに、複数の説と自分の見解が戻る。廃された科目も立て直しました。詔して春秋科を立て、太学に春秋博士二人を置いた。制度を丸ごと戻すのではなく、塞がれていたところだけを開けています。
この章句が説くこと
温公も亦た詩賦は復す可からずと為す進士の初場は経義を試し次に賦詩論策とす経義に対うる者は古今諸儒の説及び己が見を引用するを許す又た詔して春秋科を立て太学に春秋博士二員を置く制度復元
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