宋名臣言行録 / 前集巻四・冦凖
公赴貶雷州道出公安剪竹挿于神祠之前而祝曰凖心若負朝廷此竹必不生若不負朝廷此枯竹當再生其竹果生
新字:公赴貶雷州道出公安剪竹挿于神祠之前而祝曰凖心若負朝廷此竹必不生若不負朝廷此枯竹当再生其竹果生
書き下し
公、貶に赴きて雷州に、道、公安に出づ。竹を剪りて神祠の前に挿して祝して曰く、凖の心、若し朝廷に負かば、此の竹必ず生ぜじ。若し朝廷に負かずんば、此の枯竹當に再び生ずべしと。其の竹果たして生ず。
現代語訳
公が流謫に赴いて雷州へ行く途中、道は公安を通った。竹を切って神の祠の前に挿し、祈って言った。「私の心がもし朝廷に背いていたなら、この竹はきっと生きないだろう。もし朝廷に背いていなかったなら、この枯れた竹はふたたび生きるはずだ」。その竹ははたして生きた。
解説
前の条と同じ竹の話を、別の本が違う形で伝えています。こちらは流される道中に、本人が竹を挿して祈ったという筋です。私の心が朝廷に背いていたなら生きないだろう、背いていなかったなら生きるはずだ、と。編者は注を付けて、前の二書のほうが正しいだろうとしています。同じ出来事が二通りに伝わったところを、両方残しているのがこの書の作りです。
この章句が説くこと
凖の心若し朝廷に負かば此の竹必ず生ぜじ若し朝廷に負かずんば此の枯竹当に再び生ずべし其の竹果たして生ず潔白誓い伝承
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