宋名臣言行録 / 後集巻三・文彦博
公知益州喜遊宴嘗宴鈐轄廨舍夜久不罷從卒輒拆馬庌為薪不可遏軍校白之座客股栗公曰天實寒可拆與之神色自若飲宴如故卒氣沮無以為變
新字:公知益州喜遊宴嘗宴鈐轄廨舎夜久不罷従卒輒拆馬庌為薪不可遏軍校白之座客股栗公曰天実寒可拆与之神色自若飲宴如故卒気沮無以為変
書き下し
公益州を知す。遊宴を喜ぶ。嘗て鈐轄の廨舍に宴す。夜久しくして罷めず。從卒輒ち馬庌を拆きて薪と爲す。遏む可からず。軍校之を白す。座客股栗す。公曰く、天實に寒し。拆きて之に與う可しと。神色自若として飲宴故の如し。卒の氣沮み、以て變を爲す無し。
現代語訳
文彦博は益州の知事であった。宴を好んだ。あるとき鈐轄の役宅で宴を張った。夜が更けても終わらなかった。供の兵たちが、馬小屋を壊して薪にしはじめた。止めることができない。軍の校官がこれを報告した。列席の客は震え上がった。文彦博は言った。「まことに寒い。壊させて与えてよい」。顔色ひとつ変えず、宴はもとのままであった。兵たちの気勢はくじけ、それ以上の変事は起こらなかった。
解説
馬小屋を壊すのは、薪が欲しいだけではありません。止められるかどうかを試している行為です。**止めることができない。**そこで報告が上がり、客が震え上がりました。文彦博の一言は、その挑発を挑発として扱っていません。**まことに寒い。壊させて与えてよい。**寒くて薪が要るのだろう、という読み方に置き換えた。しかも許可の形にしています。試している側は、試す相手がいなくなりました。**兵たちの気勢はくじけ、それ以上の変事は起こらなかった。**
この章句が説くこと
従卒輒ち馬庌を拆きて薪と為す遏む可からず軍校之を白す座客股栗す天実に寒し拆きて之に与う可し神色自若として飲宴故の如し卒の気沮み以て変を為す無し挑発冷静
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