宋名臣言行録 / 後集巻六・王安石
上曰王猛佐苻堅以蕞爾國而令必行今朕以天下之大而不能使人何也對曰王猛睚眦之忿必報専教苻堅以峻法殺人為事此必小臣刻薄有以誤陛下者願専以堯舜三代為法理順而埶利則下豈有不從者乎
新字:上曰王猛佐苻堅以蕞爾国而令必行今朕以天下之大而不能使人何也対曰王猛睚眦之忿必報専教苻堅以峻法殺人為事此必小臣刻薄有以誤陛下者願専以堯舜三代為法理順而埶利則下豈有不従者乎
書き下し
上曰く、王猛は苻堅を佐けて蕞爾たる國を以てして令必ず行わる。今朕は天下の大を以てして人を使う能わざるは何ぞやと。對えて曰く、王猛は睚眦の忿も必ず報い、專ら苻堅に教うるに峻法もて人を殺すを以て事と爲さしむ。此れ必ず小臣の刻薄なる、以て陛下を誤る者有らん。願わくは專ら堯舜三代を以て法と爲せ。理順にして勢利なれば、則ち下は豈に從わざる者有らんやと。
現代語訳
天子は言った。「王猛は苻堅を輔けて、ちっぽけな国でありながら命令が必ず行われた。いま朕は天下の大をもってしながら、人を使うことができないのはなぜか」。答えて言った。「王猛は睨まれた程度の恨みでも必ず仕返しし、もっぱら苻堅に、厳しい法で人を殺すことを仕事とさせました。これはきっと、薄情な小臣がいて、陛下を誤らせているのです。どうかもっぱら堯舜と三代を手本となさってください。道理が順で、勢いが利であれば、下の者にどうして従わない者がありましょうか」。
解説
命令が通らない、という悩みに、通っていた例の中身を出して答えました。**王猛は睨まれた程度の恨みでも必ず仕返しし、もっぱら苻堅に、厳しい法で人を殺すことを仕事とさせました。**命令が通ったのは、通す仕組みが恐怖だったからです。羨むべき例ではない。そして原因を、天子の外に置きました。**きっと、薄情な小臣がいて、陛下を誤らせているのです。**そのうえで別の道を示します。**道理が順で、勢いが利であれば、下の者にどうして従わない者がありましょうか。**
この章句が説くこと
王猛は苻堅を佐けて蕞爾たる国を以てして令必ず行わる今朕は天下の大を以てして人を使う能わざるは何ぞや王猛は睚眦の忿も必ず報い専ら苻堅に教うるに峻法もて人を殺すを以て事と為さしむ理順にして勢利なれば則ち下は豈に従わざる者有らんや統率手段
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