宋名臣言行録 / 前集巻五・王曽
公再涖大名治政益信于俗民居軍伍咸畫像以事之時敵使往来入境皆云此府王公在焉必沐浴潔服而入
新字:公再涖大名治政益信于俗民居軍伍咸画像以事之時敵使往来入境皆云此府王公在焉必沐浴潔服而入
書き下し
公、再び大名に涖む。政を治むること益々俗に信ぜらる。民居・軍伍、咸な像を畫きて以て之に事う。時に敵使往来し、境に入れば皆な云う、此の府に王公在り焉と。必ず沐浴し服を潔くして入る。
現代語訳
公はふたたび大名府に臨んだ。政を執ることが、いよいよ土地の人に信じられた。民家でも軍の隊でも、みな肖像を描いて祀った。当時、契丹の使者が行き来し、境に入るとみな言った。「この府には王公がおられる」。必ず沐浴し衣服を清めてから入った。
解説
敵国の使者が、境に入る前に身を清めた条です。理由が一つだけ書かれています。**この府には王公がおられる。**軍を置いたからでも、示威をしたからでもありません。民家でも軍の隊でも肖像を描いて祀るほどの信を土地に築いたことが、そのまま国境の抑えになっていました。前に見た曹瑋の名を聞いて顔を上げなかった契丹の使者と、同じ形の記録です。
この章句が説くこと
政を治むること益々俗に信ぜらる民居軍伍咸な像を画きて以て之に事う此の府に王公在り必ず沐浴し服を潔くして入る信望抑止辺境
関連する章句
-
『宋名臣言行録』後集巻一・韓琦公の歷る所の大藩、皆遺愛有り。戎狄尤も公の名を畏る。凡そ契丹に使いする及び來たる使者、必ず問う、韓侍中安否、今何くに在りやと。其の子忠彦、幕外に使いす。虜主左右に問う、孰れか屢ミ南朝に使いして韓侍中を識る。忠彦の貌父に類するや否やを觀よと。或るひと對えて曰く、頗る類すと。畫工に命じて之を圖せしめて去る。館伴の王興功、遽かに以て忠彦に告ぐ。北門は聘使の道爲り。舊と京尹に與うる書は皆押字して名のらず。公の留守たるに及びては則ち書に名のる。其の副使成禹錫、仍りて來介に喻して曰く、侍中の此に在るを以ての故に特に名のると。南來して臨清の界に渉る毎に、即ち其の下を戒めて曰く、此れ韓侍中の境なり。多く需索する無かれと。
-
『宋名臣言行録』前集巻八・王徳用公、定州に在り。契丹、人をして其の軍を覘わしむ。或るひと公に執えて之を戮せんことを勸む。公曰く、吾が軍は整いて和す。覘う者をして實を得て以て歸らしむるは、是れ人の兵を屈するに戰わざるを以てするなりと。
-
『宋名臣言行録』前集巻五・王曽公嘗て言う、始めて大政に參ずるとき、故王太尉の國に當たるに屬す。毎に朝士を進用するに、必ず望實を先にす。或ひと曰く、某人は才あり、某人は賢なりと。則ち曰く、誠に此の人を知る。然れども歴官尚お淺し。且く望を養わしめ、歳乆しくして渝らずして後に擢任せば、則ち榮途坦然として、中外允に惬わんと。故に公、執政の日、是の言を遵行す。而して人皆な心服す。
-
『宋名臣言行録』前集巻五・蔡齊契丹、天を幽州に祭る。兵を以て界上に屯す。界上驚騷す。議する者、大軍を發して以て邉を備えんと欲す。公獨り其の必ず動かざるを料る。後、卒に事無し。公、大位に在り、事に臨みて回らず。牽畏する所無し。而して恭謹謙退にして未だ嘗て自ら伐らず。天下之を推して正人と為す。搢紳の士、倚りて以て朝廷の重しと為す。
-
『宋名臣言行録』前集巻四・冦凖公、大名府に鎮す。北使、道に之に由る。公に謂いて曰く、相公の望重し。何を以て中書に在らざるやと。公曰く、皇上、朝廷無事なるを以てす。北門の鏁鑰、凖に非ざれば不可なりと。
-
『宋名臣言行録』後集巻七・司馬光遼人・夏人使を遣わして入朝し、吾が使の彼中に至る者と、彼必ず公の起居を問う。相と爲るに及び、遼人其の邊吏に敕して曰く、中國司馬を相とせり。慎んで事を生じて邊隙を開く毋かれと。