宋名臣言行録 / 後集巻一・韓琦
英宗初以驚疑得疾雖平而疑未解潜晦自居猶若疾者靣壁卧不受藥餌公日率同僚自捧藥以進公俯而懇告則或熟視而不言或取藥覆公之衣而不頋公或跪於榻上者移時或拜於床下者數四太后毎勞公曰相公亦不易勝矣大王汝自勸及大王勸之尤不頋也然須公強之而後服
新字:英宗初以驚疑得疾雖平而疑未解潜晦自居猶若疾者面壁臥不受薬餌公日率同僚自捧薬以進公俯而懇告則或熟視而不言或取薬覆公之衣而不頋公或跪於榻上者移時或拝於床下者数四太后毎労公曰相公亦不易勝矣大王汝自勧及大王勧之尤不頋也然須公強之而後服
書き下し
英宗初め驚疑を以て疾を得。平らぐと雖も疑い未だ解けず。潜晦自ら居りて、猶お疾者の若し。壁に面して卧し、藥餌を受けず。公日ミ同僚を率い、自ら藥を捧げて以て進む。公俯して懇ろに告ぐれば、則ち或いは熟視して言わず、或いは藥を取りて公の衣に覆いて顧みず。公或いは榻上に跪くこと時を移し、或いは床下に拜すること數四。太后毎に公を勞いて曰く、相公も亦た易からず、勝えたりと。大王よ、汝自ら勸めよと。大王之を勸むるに及びても、尤も顧みざるなり。然れども公之を強いて而る後に服するを須つ。
現代語訳
英宗ははじめ驚きと疑いから病を得た。落ち着いてからも疑いは解けなかった。身を潜めて自らこもり、なお病人のようであった。壁に向かって臥し、薬を受け取らなかった。韓琦は毎日同僚を率いて、自ら薬を捧げて差し出した。韓琦が身をかがめて懇ろに申し上げると、じっと見つめたまま何も言わないこともあれば、薬を取って韓琦の衣にかけて顧みないこともあった。韓琦は寝台の上に長いあいだ跪いていることもあり、床の下で幾度も拝することもあった。太后はそのたび韓琦をねぎらって言った。「宰相どのも楽ではない、よく堪えられた」。そして「大王よ、そなたから勧めなさい」と言った。大王が勧めても、なおさら顧みなかった。それでも韓琦が強いて、そのうえでようやく服んだ。
解説
この章句が説くこと
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論語・憲問篇子曰く、『詐を逆(むか)えず、不信を億(はか)らず。抑も亦た先覚なる者、是れ賢か。』
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