宋名臣言行録 / 後集巻十二・劉安世
擢右正言是時差除頗多政府親戚公言祖宗以来執政大臣親戚子弟未嘗敢受内外華要之職自王安石秉政以後盡廢累聖之制專用親黨務快私意數年間㢘恥掃地今廟堂之上猶習故態
新字:擢右正言是時差除頗多政府親戚公言祖宗以来執政大臣親戚子弟未嘗敢受内外華要之職自王安石秉政以後尽廃累聖之制専用親党務快私意数年間廉恥掃地今廟堂之上猶習故態
書き下し
右正言に擢でらる。是の時差除に頗る政府の親戚多し。公言う、祖宗以来、執政大臣の親戚子弟は、未だ嘗て敢えて内外華要の職を受けず。王安石政を秉りて以後、盡く累聖の制を廢し、專ら親黨を用い、務めて私意を快くす。數年の間、廉恥地を掃う。今廟堂の上、猶お故態を習う、と。
現代語訳
右正言に抜擢された。当時、任命のなかに政府高官の親戚が非常に多かった。劉安世は述べた。「祖宗以来、執政の大臣の親戚や子弟は、あえて中央地方の華やかで枢要な職を受けることがなかった。王安石が政権を握って以後、代々の天子の定めをことごとく廃し、もっぱら身内と一味の者を用い、努めて私情を満足させた。数年のあいだに、恥を知る心が地を払った。いま朝堂の上でも、なお昔どおりの態を習っている」。
解説
禁止規定があったのではなく、慣行として避けていた、という説明が要です。**執政の大臣の親戚や子弟は、あえて中央地方の華やかで枢要な職を受けることがなかった。**受けられないのではなく、受けなかった。その慣行が破られると、規則で戻せません。**数年のあいだに、恥を知る心が地を払った。**そして政権が代わっても続いていると言います。**いま朝堂の上でも、なお昔どおりの態を習っている。**批判した側が同じことをしている、という指摘に進みます。
この章句が説くこと
是の時差除に頗る政府の親戚多し祖宗以来執政大臣の親戚子弟は未だ嘗て敢えて内外華要の職を受けず専ら親党を用い務めて私意を快くす数年の間廉恥地を掃う今廟堂の上猶お故態を習う身内慣行
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