宋名臣言行録 / 後集巻二・歐陽修
保州兵亂以公為河北轉運使陛辭上面諭無為久留之計有所欲言言之公曰諌官得風聞言事外官越職而言罪也上曰苐以聞勿以中外為意河北諸軍怙亂驕恣小不如意輙脅持州郡公奏乞優假將帥以鎮壓士心軍中乃定
新字:保州兵乱以公為河北転運使陛辞上面諭無為久留之計有所欲言言之公曰諌官得風聞言事外官越職而言罪也上曰苐以聞勿以中外為意河北諸軍怙乱驕恣小不如意輙脅持州郡公奏乞優仮将帥以鎮圧士心軍中乃定
書き下し
保州兵亂す。公を以て河北轉運使と爲す。陛辭す。上面ミ諭す、久しく留まるの計を爲す無かれ。言わんと欲する所有らば之を言えと。公曰く、諫官は風聞を得て事を言う。外官の職を越えて言うは罪なりと。上曰く、第だ以て聞せよ。中外を以て意と爲す勿かれと。河北の諸軍は亂に怙りて驕恣し、小しく意の如くならざれば輒ち州郡を脅持す。公奏して將帥を優假して以て士心を鎮壓せんことを乞う。軍中乃ち定まる。
現代語訳
保州で兵が乱れた。欧陽脩を河北転運使とした。天子に別れを告げた。天子は面と向かって諭した。「長く留まる算段をするな。言いたいことがあれば言え」。欧陽脩は言った。「諫官は風聞によって事を言うことができます。地方官が職分を越えて言うのは罪です」。天子は言った。「ただ報告せよ。中央か地方かを気にするな」。河北の諸軍は乱に乗じて驕り高ぶり、少しでも思いどおりにならなければ、すぐ州や郡を脅した。欧陽脩は上奏して、将帥を手厚く遇して兵士の心を鎮めるよう願った。軍中はそれで落ち着いた。
解説
地方に出る人に、天子が特別の許可を与えた場面です。まず欧陽脩のほうが線を引きました。**諫官は風聞によって事を言うことができます。地方官が職分を越えて言うのは罪です。**言えないのではなく、言うと罪になる。その仕組みを先に申告しています。天子の返事は短い。**ただ報告せよ。中央か地方かを気にするな。**現場から声が上がらないのは、上げる者が罰せられるからだ、という理解が前提にあります。
この章句が説くこと
久しく留まるの計を為す無かれ言わんと欲する所有らば之を言え諫官は風聞を得て事を言う外官の職を越えて言うは罪なり第だ以て聞せよ中外を以て意と為す勿かれ公奏して将帥を優仮して以て士心を鎮圧せんことを乞う越権報告
関連する章句
-
『宋名臣言行録』後集巻二・歐陽修初め保州の亂兵は皆招くに死せざるを以てす。既にして悉く之を誅す。脅從の二千人も亦た諸州に分□す。富公宣撫使爲り。後に變を生ずるを恐れ、公と内黄に相い遇う。夜半人を屏けて謀り、諸州をして同日に之を誅せしめんと欲す。公曰く、禍は已に降るを殺すより大なるは莫し。况んや脅從をや。既に朝命に非ず。州郡に一の從わざる有らば、變を爲すこと細ならずと。富公悟りて乃ち止む。
-
『宋名臣言行録』後集巻二・歐陽修富公の亂兵を誅するを議するや、公時に河北に使いし、復た命を被りて權に鎮州を知す。既に力めて其の議を沮む。且つ曰く、脩鎮州に至らば必ず命に從わじと。富公已むを得ず遂に止む。是の時、小人の讒言已に入る。而して富公河北の兵を大閱し、升黜する所多し。譖する者因りて曰く、富弼は命を擅にし權を專らにし、自ら威福を作す。已に河北の軍情を收却せりと。是に於いて京師の禁軍も亟かに亦た大閱し、擢を升す所多し。而して富公歸りて國門に至るも入るを得ず、遂に罷めて鄆州を知す。向に若し遂に二千人を擅殺せば、命禍は何ぞ測る可けんや。然らば則ち公の一言は、特だ二千人の命を活かすのみならず、亦た富公を大禍より免れしむるなり。
-
『宋名臣言行録』後集巻二・歐陽修嘗て獨對して奏して曰く、近ごろ臺諫の累ミ臣の專ら濮議を主どると奏するを聞く。上、陛下の保全を荷いて、言者稍ミ息むと。上曰く、參政は性直にして衆怨を避けず。毎に奏事の時を見るに、或いは二相に異同する所有らば、便ち相い折難す。其の語更に囘避無し。亦た聞く、臺諫事を議するに往往にして面ミ其の短を折ると。若し是れ奏事の時の語ならば、人の喜ばざるを知る可し。今後少しく此を戒めよと。臣對えて曰く、臣愚拙を以て、敢えて聖訓の如くせざらんやと。
-
『宋名臣言行録』後集巻二・歐陽修孫侍郎長卿、環慶路安撫を罷めて集賢院學士を拜し、河東轉運使と爲る。臺諫交ミ章して論列す、長卿邊を守ること狀無し、宜しく降黜を加うべしと。中書は長卿の歳滿ちて代を得、過ちの黜す可き無きを以てす。而して臺諫論奏して已まず。六月十一日進呈す。上厲聲に曰く、已に行うの事、何ぞ改む可けんやと。臣脩奏して曰く、臣等は已に行いて改め難しと爲さず。若し朝廷果たして是れ除授當たらずんば、能く臺諫の言を用いて改正するは、以て上は陛下の諫に從うの聖を彰らかにするに足る。臣等能く非を遂げずして過ちを改むるも亦た是れ好事なり。但だ長卿の除授を以て非當と爲さず。若し臺諫の言に從わば、彼をして寃を御け屈を受けしむ。理に於いて未だ安からずと。之を然りとす。
-
『宋名臣言行録』後集巻二・歐陽修公奏して御河催綱司を置きて以て糧餉を督す。邊州之に頼る。又た磁・相州に都作院を置きて一路の戎器を繕う。河北方に小しく治まる。而して二府の諸公相い繼いで黨議を以て罷め去る。公慨然として上書して之を論ず。用事者益ミ怒る。會ミ公の外甥女張、公の族人晟に嫁し、失行を以て獄に繫がる。言事者此に乘じて并せて公に中てんと欲し、遂に詔獄を起こして張の貲産を窮治す。上、中官をして之を監劾せしむ。卒に其の誣を辨ず。猶お官を降されて滁州を知らしめらる。
-
『宋名臣言行録』後集巻二・歐陽修太原府を判ずるを除せらる。公辭して蔡州を知らんことを求む。且つ曰く、時に新奇を喜ぶ多くして、臣は拙を守るを思う。衆は方に功利を興し、臣は尋常を欲すと。執政、其の終に己に附かざるを知る。俄かに詔して本官を以て蔡州を知らしむ。