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宋名臣言行録 / 後集巻五・吕誨

治平元年孫覺過余言曰聞臺官以數言事不用相謂言小事不足決去就當共爭濮王事不聴則決去葢是時知雜御史吕誨吕大防范純仁等與諌官司馬光數論孫固庸回王廣淵姦邪不當用其言愈切而用之愈堅事如此類者甚衆凡臺諌官言入輙以進呈訖寢之時人謂之訖了范純仁言臺吏亦為之沮赧每白御史曰某事又訖了也葢執政方恃權欲一切以阻言者而言者以不能塞職為愧且憤故相約如此

新字:治平元年孫覚過余言曰聞台官以数言事不用相謂言小事不足決去就当共争濮王事不聴則決去葢是時知雑御史呂誨呂大防范純仁等与諌官司馬光数論孫固庸回王広淵姦邪不当用其言愈切而用之愈堅事如此類者甚衆凡台諌官言入輙以進呈訖寝之時人謂之訖了范純仁言台吏亦為之沮赧毎白御史曰某事又訖了也葢執政方恃権欲一切以阻言者而言者以不能塞職為愧且憤故相約如此

書き下し

治平元年、孫覺余を過ぎりて言いて曰く、聞くならく臺官は數ミ事を言うも用いられざるを以て、相い謂いて言う、小事を言うは去就を決するに足らず。當に共に濮王の事を爭うべし。聽かれずんば則ち決して去らんと。蓋し是の時、知雜御史呂誨・呂大防・范純仁等と諫官司馬光と、數ミ孫固の庸回、王廣淵の姦邪にして當に用うべからざるを論ず。其の言愈ミ切なるも、之を用うること愈ミ堅し。事の此の類の如き者甚だ衆し。凡そ臺諫官の言入れば、輒ち進呈を以て之を訖寢す。時人之を訖了と謂う。范純仁言う、臺吏も亦た之が爲に沮赧す。毎に御史に白して曰く、某事又た訖了せりと。蓋し執政方に權を恃みて、一切を以て言者を阻まんと欲す。而して言者は職を塞ぐ能わざるを愧と爲し、且つ憤る。故に相い約すること此くの如し。

現代語訳

治平元年、孫覚が私のところに立ち寄って言った。「聞くところでは、御史台の官は、たびたび意見を述べても用いられないので、互いに言い合っているという。『小さな事を言うのでは、進退を決めるに値しない。ともに濮王の件を争うべきだ。聴かれなければ、決然と去ろう』と」。思うにこの時、知雑御史の呂誨・呂大防・范純仁らと、諫官の司馬光とが、たびたび孫固の凡庸さ、王広淵のよこしまさを論じて、用いるべきでないとしていた。その言葉は切実になるほど、任用のほうは堅くなった。この類の事はたいそう多かった。およそ御史台と諫院の意見書が入ると、そのつど「上申済み」として眠らせた。当時の人はこれを「訖了」と呼んだ。范純仁は言った。「御史台の下役までがそのために気まずく赤面する。そのたび御史に申し上げて『某の件も、また訖了になりました』と言う」。思うに執政はちょうど権勢を頼んで、いっさいを封じて意見を述べる者を阻もうとしていた。そして意見を述べる者は、職責を果たせないことを恥じ、そして憤った。だから互いにこう申し合わせたのである。

解説

意見を潰す方法が、拒否ではありませんでした。**およそ御史台と諫院の意見書が入ると、そのつど「上申済み」として眠らせた。**受け取り、上に回し、そこで止める。手続きは正しく踏まれているので、抗議のしようがありません。隠語まで生まれていました。**当時の人はこれを「訖了」と呼んだ。**しかも、その処理をする下役のほうが恥ずかしがっている。**御史台の下役までがそのために気まずく赤面する。**追い詰められた側は、賭ける一件を選ぶことにしました。

この章句が説くこと

小事を言うは去就を決するに足らず当に共に濮王の事を争うべし其の言愈ミ切なるも之を用うること愈ミ堅し凡そ台諫官の言入れば輒ち進呈を以て之を訖寝す時人之を訖了と謂う言者は職を塞ぐ能わざるを愧と為し且つ憤る諫言握りつぶし

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